コロナ禍に対する
メルケル首相の演説
皆さんこんにちは。ロゴスとフィシスの旅の第20回です。
今年の春は新型コロナウイルスへの対策が続いています。当初中国で始まった感染が、日本でも広がり、さらにヨーロッパ、アメリカでも急速に拡散しています。この感染に対する各国の反応と、それぞれの政府が取った施策は、国民性や文化の違いを反映していました。
そんななかで3月18日にドイツのメルケル首相が行った演説は、世界を覆う災禍に立ち向かううえで、個人の主体性と他者への信頼の大切さを訴えたものとして、とても印象的でした。旧東ドイツの出身であるメルケル首相にとって個人の自由を制限することは、民主主義の根幹を脅かす最も避けたいことだと思いますが、あえて新たな規則の遵守を次のように呼びかけました。
・この試練の克服を、すべての国民が誠 実に自身の任務だと考えるなら、それは可能だと私は確信しています。
・私たちは民主主義国家にいます。強制されることなく、知識を共有し、協力しあって生活しています。
・状況は深刻で未解決ですが、お互いが規律を遵守し、実行することで状況は変わっていきます。
・この伝染病が私たちに教えてくれていることがあります。それは私たちがどれほど脆弱であるか、どれほど他者の思いやりある行動に依存しているかということ、それと同時に、私たちが協力し合うことでいかにお互いを守り、強めることができるか、ということです。 Facebook掲載のギュンターりつこ氏の翻訳から抜粋。bit.ly/is27_logos
とても説得力のあるスピーチですが、このなかでメルケル首相は、自由な個人の集まりである民主主義社会には、それが本質的に抱えているパラドックスがあることを率直に表しています。
今回の危機的な状況では、社会全体のことを考えると、個人が自分の自由を制限して、社会の規律を遵守することが求められます。しかしメルケル首相は、その選択を一人ひとりに、自分の置かれた状況を理解して、それを自分の問題として認識することから導き出すことを求めます。それは社会全体への貢献と個人の自由を、どのようにバランスするのかということを、一人ひとりが責任をもって考えることを励ましているものです。そこに国民に寄せるメルケル首相の深い信頼を感じました。
企業における
個人の主体性とは
さて今回のロゴスとフィシスの旅は、企業における個人の主体性の発揮と、組織の目標達成のためのチームワークのあり方について考えてみたいと思います。お客様から、自分の判断で主体的に行動する「主体性をもった社員を育成したい」というご要望とともに、「チーム力を向上させたい」というご要望もよくいただきます。
主体性をもつというのはどういう状態でしょうか。
三省堂の大辞林によると、「主体性とは自分の意志・判断によって自ら責任をもって行動する態度や性質」となっています。変化のスピードが加速し、過去の成功事例が必ずしも今の問題解決の役に立たない時代には、若い人たちもシニアな人たちも、管理職であろうと一般職であろうと、目の前の状況をしっかり観察し、自分の判断力を養って主体的に行動することが求められるのはよくわかりますね。
他方、世の中はますます複雑で不確実な時代になっているので、目の前の問題を自分一人の目で見るだけではなく、できるだけ多様な視点から問題を分析して、チームワークで仕事を進めていくことの必要性も肯けます。
しかしこの主体性の発揮と、チーム力の向上という課題は両立するものなのでしょうか。一方では自分自身の主体的な判断を主張・尊重し、他方で自分とは違う視点や価値観をもった人たちの意見を尊重するのだとすると、2つの要求は一見矛盾しているようにも感じます。「主体性を発揮しながらチームワークを高める」ことはできるのか。まず主体性を発揮しながら意思決定をしているときの脳の状態について見てみましょう。
脳は身体の外側で起きている変化を、視覚などの五感から、新たな外部情報として取り込みます。外部から取り込まれた情報は、記憶や価値観などの内部情報と照らし合わされて、違和感を感じたり共感したりといった意識を生じさせます。
主体性を発揮している状態というのは、外部情報を自分の内部情報と照らし合わせて、意識的に評価しているときのことです。つまり自分の外側で起きている変化の状況、いわゆる「他所(よそ)ごと」を、自分にとって意味のあること、つまり「自分ごと」に変換しているときが主体的に考えているときです。外界で起きている新しい出来事が、自分にとってポジティブな意味をもつものであると見い出すことで、新しい考え方や気づきを得ます。つまり主体性をもって物事を考えることは創造的な行為であり、学びのプロセスそのものです。
五感で繋がることが大事
一方でチームは主体である個人が集まった集団ですが、ウィキペディアでは「チームとは目的や目標を共有して、その達成方法も共有しながら、補完的なスキルをもつ人たちの集合体である」と書かれています。
ゴリラ学の第一人者で京都大学の総長である山極寿一さんによると、チームというのは人間にしかできないものなのだそうです。ゴリラも他の動物も集団で暮らしますが、それは群れであってチームではなく、目的を共有してその達成のためにメンバーを選び、別々の役割を担いながら協力し合う集団を作るのは人間だけとのこと。
また集団での同調の仕方もちがっていて、動物の群れが同調するのは渡り鳥が一斉に飛び立つときなど、相手と同じ行動をとることですが、人間の同調の仕方は、相手の意図に合わせて相手と異なる行動をとることです。そこでは共通の目的を達成するための計画性や、相手がどのように動くかという想像力と共感力が働いています。
ここでの共感力というのは、他人と同じ感情を抱くことではなく、相手の言動を自分と異なる立場の人間のものとして想像しながら、それが自分にもたらす意味合いを感じて理解することです。人間は森からサバンナへ環境を変えていく進化の途上で、生き抜くための選択肢として、体を大きくし牙を持つという方法ではなく、相手の状況を想像し、共感力を高めて協力し合うことを選択したわけです。
チーム力を高めるためにはお互いの信頼関係を深めていくことが必要ですが、山極先生によると、そのためには五感で繋がることが大事だと言います。それも本来共有が困難な、味覚や嗅覚、そして触覚が重要なのだそうです。
たとえばミーティングで文字やグラフを共有するだけでなく、食事を一緒に取るとか、合宿などで一緒に風呂に入るなどの場が、チームの信頼を高めていくとのことです。確かに階層組織の指示命令や報告などの、文書によるコミュニケーションで成り立つ官僚的なチームと、合宿をしながら体をぶつけ合って、お互いの癖や感じ方も共有していくラグビー・チームとでは信頼関係がまったく違いますね。
主体性とは「自分ごと化」
さて、では改めて「主体性をもってチーム力を高める」ことは、矛盾することなく可能なのでしょうか。
もう一度主体性について振り返ってみましょう。主体性とは外部の変化を自分の身体に取り込み、それを自分にとってポジティブな、新たな意味を見出すことで生じる「自分ごと化」のことでした。それは見方を変えると、外部で起きていることへの共感を生むプロセスです。この共感によって、外部のことが「自分ごと」になり、元々は「他所ごと」であった外界の変化に主体的に取り組むことができます。
この外部の出来事を、チームのメンバーである他人の意見や行動として考えてみましょう。すると「他所(よそ)ごと」が「他人(ひと)ごと」と置き換わります。それを「自分ごと」として理解しようとする主体的な活動そのものが、チーム力を高める共感力になるわけです。そのように考えていくと主体性を発揮するためにも、そしてチームの力を高めるためにも、「自分ごと化」と「共感力」が鍵であることになります。そしてその2つはどちらも、自分にとって新たな意味を生み出す力だということです。
こうして冒頭の「主体性の発揮」と「チーム力の向上」は両立するのかという問いに、以下のように答えることができます。
主体性を発揮するためには、自分の周りで変化している「他所ごと」を「自分ごと化」するという「共感力」が必要であり、チーム力を高めるためには、「他人ごと」を「自分ごと化」するという「共感力」が必要だということです。つまり、主体性を発揮することが実はチーム力を向上させることであり、チーム力を高めることが主体性を発揮することなのです。そのどちらにも、自分の可能性に対する信頼と、共通の目的を実現しようとする仲間としての他者への信頼があります。
今起きていることは
「他所ごと」ではない
冒頭のメルケル首相のスピーチは、人間と社会に対するより深い信頼と洞察から説き起こされていました。今起きていることが他所ごとではなく、自分ごとであることに気づいてほしい、世界中で起きていることの変化の一端をあなたが担っていること、あなたの判断が他人の人生に影響を与えること、そして個人は完全で自立している存在ではなく、他者と依存し合いながら、助け合って生きている存在であることに気づいてほしいと訴えています。
私たちは少なくとも他者を完全に理解することはできず、他者になりきることができないほどに不完全な存在です。そしてお互いにそのような弱さがあり完全ではない存在であると認め合うことで、他人のことを自分にとっても意味あるものとして解釈する共感力が生まれ、社会と結び付くことができるのです。それをメルケル首相は冷静に、熱く呼びかけています。
元大阪大学総長の鷲田清一さんが、「本当に自立している大人はインディペンデントではなくインターディペンデント、相互依存することができる人たちである」と言いましたが、主体的に他者と関わるチームというのはこんな人たちの集まりではないでしょうか。仕事仲間のなかで自分らしく主体性をもって働くために、さまざまな人たちと関わり合い、依存し合うことで人生をより豊かで意味あるものにするために、「自分ごと化」と「共感力」をさらに高めていく方法について、これからもご一緒に考えていきましょう。
著者
片岡 久氏
株式会社アイ・ラーニング
アイ・ラーニングラボ担当
1952年、広島県生まれ。1976年に日本IBM入社後、製造システム事業部営業部長、本社宣伝部長、公共渉外部長などを経て、2009年に日本アイ・ビー・エム人財ソリューション代表取締役社長。2013年にアイ・ラーニング代表取締役社長、2018年より同社アイ・ラーニングラボ担当。ATD(Association for Talent Development)インターナショナルネットワークジャパン アドバイザー、IT人材育成協会(ITHRD)副会長、全日本能率連盟MI制度委員会委員を務める。
[IS magazine No.27(2020年5月)掲載]
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ロゴスとフィシスの旅 ~日本の元気を求めて
第1回 世界を主客一体として捉える日本語の感性をどのようにテクノロジーに活かすか
第2回 「Warm Tech」と「クリーン&ヘルス」という日本流技術の使い方はどこから生まれるか
第3回 デジタル社会では、組織・人と主体的に関わり合うエンゲージメントが求められる
第4回 技術革新と心と身体と環境の関係
第5回 忙しさの理由を知り、「集中力」を取り戻す
第6回 自分が自然(フィシス) であることをとおして、世界の捉え方を見直す
第7回 生まれてきた偶然を、必然の人生に変えて生きるために
第8回 人生100 年時代 学び続け、変わり続け、よりよく生きる
第9回 IoTやAIがもたらすデジタル革命を第2の認知革命とするために
第10回 デジタル化による激しい変化を乗り切る源泉をアトランタへの旅で体感
第11回 「働き方改革」に、仕事本来の意味を取り戻す「生き方改革」の意味が熱く込められている
第12回 イノベーションのアイデアを引き出すために重要なこと
第13回 アテンションが奪われる今こそ、内省と探求の旅へ
第14回 うまくコントロールしたい「アンコンシャス・バイアス」
第15回 常識の枠を外し、自己実現に向けて取り組む
第16回 人生100年時代に学び続ける力
第17回 ラーナビリティ・トレーニング 「私の気づき」を呼び起こす訓練
第18回 創造的で人間的な仕事をするには、まず感覚を鍛える必要がある
第19回 立ち止まって、ちゃんと考えてみよう
第20回 主体性の発揮とチーム力の向上は両立するか