2階のサーバールームにある
System iは津波被害を受けず
本社事務所や工場にいた社員が一度建屋を出て、本社前の駐車場で安全確認した後、計画推進部計画推進グループのチームリーダー及川重美氏は、デスクのあるサーバールームに戻った。
停電の中、1人で散らばった書類の後片付けをしていると、同僚がドアを開けて「津波が来るらしい」と知らせに来た。すぐに「七ヶ浜に津波が到達した」「早く屋上に上がれ」と告げて回る誰かの大声が聞こえ、及川氏は慌てて2階建て本社の屋上に駆け上がった。
全員がそこから見下ろす中、裏手にある砂押川からみるみるうちに津波が押し寄せ、あっという間に建物を取り囲んだ。さっきまで点呼をとっていた駐車場が濁流に埋まる。50~60台の車が浮き上がり、互いにぶつかりながら流されていく。
ゼライスの本社は、仙台市の北東に位置する宮城県多賀城市にある。同市では総面積の約3割に当たる砂押川の南側部分がほとんど浸水し、仙台塩釜港から1kmほど内陸に入った同社も2mの津波に水没した。
本社を取り囲んだ水はなかなか引かず、孤立した70人ほどが2階の会議室にいた。電気やガス、水道、電話や携帯も使えず、小雪が舞う底冷えの寒さに震えながら、バッテリーの残ったノートPCのディスプレイが放つわずかな光を頼りに、携帯ラジオから流れるニュースを聞いて、皆が眠れない一夜を過ごしたのである。
翌朝水が引くと、隣接する陸上自衛隊多賀城駐屯地から派遣された救助車に乗せられて、いったん駐屯地へ避難。そこから各自が自宅へ戻った。その日から、操業再開に向けた長い道のりを歩み出すことになる。
同社は食品用や医薬品、工業用などさまざまな用途で使用するゼラチンを製造・販売している。製品のほとんどを生産する本社工場は平屋建てで、津波で全ラインが浸水した。自動倉庫も同様で、2階部分に保管した在庫は無事だったが、停電でリフトを動かせないため出荷はできない。
本社建屋の1階に事務室、2階に研究開発部門や会議室、そして及川氏が席を置くサーバールームがあった。60台ほどのクライアントPCは多くが本社の1階や工場にあったため水没。2台のルータも、本社1階に設置していたため使用不能になった。
幸いなことに販売管理・生産管理・財務会計システムを運用するSystem i(9406-520)と、6台のブレードを格納してファイルサーバーやプロキシーサーバー、ノーツやメール、WebやWeb会議システムに利用するBladeCenterは2階のサーバールームに設置していたため被害を免れた。
System iはラック型で、2008年に免震装置を導入していることもあり、無事だった。停電後はUPSの電源供給を受ける間に自動的にシャットダウンしている。ブレードサーバーにもUPSは接続しているが、こちらは手動のシャットダウンが間に合わず異常終了した。いずれもその後、問題なく再起動している。
ただし本社の敷地内へは震災直後から立ち入り禁止になったため、これらの状況が判明するのは3月末のことであった。
東京・大阪営業所からの
基幹システム利用を再開
敷地内への立ち入りが許されたのは3月28日。社員総出で瓦礫やゴミ、泥や油の片付けを進める一方、自家発電機を借りて本社建屋に持ち込み、サーバールームを含む2階フロアに通電させた(電気が完全に復旧したのは5月中旬、電話回線は6月半ばである)。
サーバーを再起動させ、無事であると判明したあとは、ネットワークの復旧に全力を注いだ。同社には東京と大阪に営業所があるが、当然な がら本社のサーバーは停止し、ルータも浸水し て、業務システムにアクセスできない。
生産が停止しているため、事実上休業状態に あったものの、コラーゲンを配合したスキンケア 商品は委託製造しているので、販売が可能であ る。そのため営業所では手作業による販売・出 荷作業を続けていた。基幹システムが再稼働し た以上は、一刻も早くアクセスを可能にしたい。
同社でシステムを担当するのは及川氏1人であ り、普段から導入作業やメンテナンスなどは外 部ベンダーに委託していた。そこに依頼し、急 きょルータを借り受け、インターネットへ接続。 営業所から基幹システムへのアクセスが可能に なったのは、震災から1カ月以上が経過した4月 中旬のことである。
ちなみに40 数台のクライアントPCを泥の中 から回収したのは4月初旬。その中から10台ほ どのディスクを復旧できたが、他は難しかったと いう。
「 もう少し早く回収できていたら、また違ったの かもしれませんが、建物に立ち入れなかったの で仕方ありません」と、少し落ち着きを取り戻し 始めた6月初旬、震災当時の状況を説明する及 川氏は次のように語る。
「データをローカル側ではなく、ファイルサー バーに保管するように日頃から奨励しているのですが、なかなか進みませんでした。長年の習慣で、つい手近な自分のPCのディスクに残してしまいます。今振り返るに、もし津波の到来がもう少し早くわかっていたら、皆に各自のPCの本体だけを抱えて屋上に避難してもらいました (笑)」
可能であれば、データのバックアップ用サーバーを本社とは別の場所に設置したいと語りつつ、実際には全社一丸となって業務の全面再開に取り組んでいる今は、システムの災害対策に予算を回すことは難しいだろうとも指摘する。
同社は6月半ば過ぎから、ラインを部分的に仮復旧し、一部商品の製造を再開した。しかし全面的な操業再開の見通しはまだ立っていない。
製造の全面再開と一刻も早く震災前の状態に戻ることが、企業として最優先課題であることは言うまでもない。
同社が再生を果たしたその先に、今回の震災を活かしてどのようなBCPが描かれるのか、もう少し時機を待って確認したい。
本 社 宮城県多賀城市 震度5強
停電復旧 5月半ば
被災状況 本社・工場が2mの津波で浸水。未だ全面的な操業再開とならず
東日本大震災発生からの主な動き
3 月11 日 以降、敷地内の立ち入りが禁止
3 月28 日 本社の立ち入りが許可。自家発電装置で通電。サーバーを再起動
4 月中旬 東京・大阪営業所から基幹システムへのアクセスが可能に
5 月中旬 電源復旧
6 月20 日 一部製品の製造を再開
設 立:1941年
資本金:1億円
従業員数:100名
業務内容:食用・工業用・医療用等のゼラチンの製造・販売
http://www.jellice.com/