株式会社博運社
<IBM i 回帰のシナリオ>
基幹再構築に際して、もう「IBM iの時代じゃない」との声に押され、オープン系サーバーで稼働するクラウド型の国産ERPパッケージへの移行を決断。想定以上のカスタマイズ開発に紛糾し、何度も本稼働の延期を繰り返し、導入決定から本稼働まで4年を費やす。しかし本稼働からわずか2週間で国産ERPパッケージからの撤退を決定。並行稼働させていたIBM iへ回帰した。
本社:福岡県糟屋郡
設立:1957年
資本金:8918万円
従業員数:878名(2022年1月)
事業内容:一般貨物自動車運送事業、貨物利用運送事業、倉庫業、物流コンサルティング業務など
https://www.hus.co.jp/
九州各県に拠点とネットワークを擁する総合物流企業。1957年に「博愛の心をもって幸せを運ぶことを使命とする」との理念で創業し、現在はトラック保有台数が約433台、営業倉庫の延べ床面積が約14万6500m2と、福岡県で最大手の物流企業に成長している。
社長室vsシステム開発室
パッケージ型vs完全自社開発型
基幹システムの再構築を検討し始めた博運社で、「IBM i不要論」を提唱したのは、当時のシステム部門であったシステム開発室ではなく、社長直轄で経営戦略を策定する社長室であった。
同社はIBM iの運用歴が長く、RPGによる完全自社開発型で運輸・倉庫・車両管理を軸とした基幹システムを運用してきた。4名の社員が籍を置くシステム開発室は、外部委託せずにアプリケーション保守を担い、各部門から寄せられる改善要望に忠実に対応してきた。しかし部門や業務で別々に開発・追加されたため、システム全体が継ぎはぎ状態となっていた。
経営的なニーズをシステムで実現できないことに苛立ち、「IT運用に『幹』がない、つまりコンセプトやポリシーがない」と懸念する代表取締役社長である眞鍋和弘氏に対し、社長室は、「それはIBM iだからだ」と訴えた。将来性の見えないIBM iを離脱し、オープン系サーバーで稼働する国産ERPパッケージに移行すべきだ、と。社長室がこの国産ERPパッケージに拘ったのは、すでに会計システムとして導入していたからで、「これならボタン1つで、何でもできる。もうIBM iの時代じゃない」と主張した。
これに真っ向から反対したのは、IBM iの信頼性や運用性を熟知するシステム開発室である。これまで独自の業務要件にきめ細かく対応させてきた現行システムが、パッケージ型システムで代替えできるはずがない、というのがその論拠である。
社長室vsシステム開発室、パッケージ型vs完全自社開発型。
「私はITに詳しくないですが、さすがに魔法の杖じゃあるまいし、『ボタン1つで何でも』には懐疑的でした。しかし目に見える判断材料が必要だったので、2社コンペで双方を比較検討することにしたのです」(眞鍋氏)
2社コンペの1社は、2013年から利用している「FBI Powerクラウドサービス」を提供する福岡情報ビジネスセンター。もう1社は、クラウドサービスを前提にした前述の国産ERPパッケージである。
IBM iをベースに独自開発型で全面的な基幹システム再構築を提案する福岡情報ビジネスセンターと、パッケージ型での提案を比較すれば、コスト差は歴然としている。現行の業務要件・機能要件を国産ERPパッケージでカスタマイズした場合、「カスタマイズ量は最大でも約10%」との見積もりを得て、眞鍋氏はIBM iからの離脱を決断した。2016年7月のことである。
本稼働からわずか2週間で
国産ERPパッケージから撤退
ところが本稼働予定を2017年9月に定め、具体的な要件定義に入った途端、議論が紛糾した。同社の業務・機能要件を忠実に実現するとなると、当初10%と見積もられたカスタマイズ量を大幅に超えることが判明したからだ。
「話が違う」と、同社は当初の見積もりどおりの機能開発を要求し、一方の国産ERPベンダーは、「開発するには、相応の予算が必要」と譲らない。本稼働目標は何度も延期された。
「国産ERPパッケージで要求どおりのコストを承認すれば、最終的に福岡情報ビジネスセンターの提案額を軽く超えることになる。しかもそれは、本稼働後も延々と続くわけです。そもそも提案の要件レベルが大きく異なるのに、単純にコストだけを見て2社コンペすべきではありませんでした。要件定義の段階で、うまく行かないかもしれないとの予感はありましたが、すでに多額の初期費用を支払っており、とりあえず本稼働させ、運用している間に次の作戦に進もうと密かに考えていました」(眞鍋氏)
同社の求める機能要件の実現が不十分なまま、2020年11月、国産ERPパッケージによる新・基幹システムは本稼働を迎えた。「いつでも戻せるように」と、IBM iを並行稼働させた状態での本稼働である。
しかし眞鍋氏の期待を裏切り、次の作戦を考える時間は与えられなかった。わずか2週間で、国産ERPパッケージからの撤退を決めたからである。
「IBM iに比べると、国産ERPパッケージでは圧倒的に手数が多いのです。一部の業務はシステムでサポートできず、できても以前に比べると工数も工程も格段に増えていて、仕事が大幅に遅滞する状況でした」と、システム部門を統括する経営本部事務センター長の小戎正光氏は指摘する。
IT戦略室と名前を変えたシステム部門には、全部門からクレームが殺到し、メンバーは全員、日付が変わるまで残業の日々が続いた。残業が大幅に増えたのは、現場部門のユーザーも同様である。
「ここまで使えないのは想定していませんでしたが、クラウドサービスなので日々、運用コストは発生するわけです。システム部門も現場部門も、これは無理だと悲鳴を上げていました。これ以上の深手は避けたいと、社長が決済したのだから、社長に全責任があると宣言して、本稼働から2週間で撤退を決定しました」(眞鍋氏)
導入決定から本稼働・撤退まで約4年。この長い時間のどこで立ち止まるべきだったかと問うと、眞鍋氏は「高い授業料を払って、順調に失敗しました」と笑いながら、こう振り返る。
「要件定義は紛糾し、何度も本稼働を延期しているわけですから、強い不安を抱えていたのは確かです。しかし初期費用をすでに支払っていたこともあり、システム部門や現場、あるいは提案した社長室が、これは本当にムリだと実感するところまでやってみようと思っていました。確かに判断を誤ったとも言えますが、ITと経営を考え直す貴重な機会ともなりました。ERPへの過信、自分はITに詳しくないからと、IT関連の判断や考えを他者に委ねたことなど、反省すべき点はあります。ただ今は、『IBM iだから無理なのではない、IBM iをどう使うかを考える側に課題がある』と、思い至りました。それだけでも、貴重な教訓を得たと思います」
IBM iの運用に戻ったことは、再構築プロジェクトがスタートした当初の問題に立ち戻ったことを意味する。同社ではあらためて、福岡情報ビジネスセンターとDXアドバイザー契約を結び、プログラム資産の可視化やRPG ⅢからILE RPGへのスキル移行に取り組みながら、今後のIT戦略を描こうとしている。
「ビジネス戦略が明確でないと、それを支えるIT戦略も描けない。当たり前のことですが、そのことを痛感しています。まず当社が物流という業務を先々、どのように変革していくのか。まずそれを明らかにしたうえで、IBM iをどう活用していくかの青写真を描きたいと考えています」と、眞鍋氏は語っている。
[i Magazine 2022 Summer(2022年7月)掲載]