Text=米沢 隆 日本IBM
国際連合世界食糧計画(国連WFP)をご存じの方は多いでしょう。2020年にノーベル平和賞を受賞した国連の機関で、食糧が不足している地域への食糧援助や、天災や戦争などの被災国に対して緊急支援を行っています。1961年に設立され、117の国と地域で2万人のスタッフが世界中の何百万人という人々に食糧を支援しています。
一方で、この国連WFPの活動がさまざまなデータ分析や数理最適化技術を駆使し、食糧援助の効率を大幅に改善していることは、あまり知られていません。今回は、この国連WFPの実現している科学的な意思決定を紹介します。
詳しい内容を知りたい人はぜひ、以下のYouTubeの動画や論文を参照ください。
2021 Edelman Winner: UN World Food Programme
https://youtu.be/wdEcVj5LTGg
UN World Food Programme: Toward Zero Hunger with Analytics,
https://pubsonline.informs.org/doi/abs/10.1287/inte.2021.1097
INFORMSとエーデルマン賞
少し話はそれますが、INFORMS (Institute for Operations Research and the Management Sciences)という学会について先に説明します。
INFORMSはオペレーションズ・リサーチと経営科学に関する世界的かつ大規模な学会(会員数1万2500人)で、理論と応用の両面を重視しているのが特徴です。
この学会は毎年、「エーデルマン賞」を表彰しています。この賞は営利・非営利の両分野におけるオペレーションズ・リサーチ、マネジメント・サイエンス、アドバンスト・アナリティクスの世界での優れた実践例を紹介、評価、表彰するものです。
創設以来、エーデルマン賞の最終選考に残ったプロジェクトによる累積利益は2920億ドルを超えており、毎年優勝者には1万ドルの賞金を授与するという非常に格式の高い賞です。
実は国連WFPは、このエーデルマン賞の2021年の優勝者です。すなわち、国連WFPの科学的な運営の成果が権威ある学会で認められたということです。
国連WFPの置かれている状況
国連WFPは世界中で活動していますが、一般企業とは比較にならないほど厳しい環境に直面しています。図表1に、その課題を示します。
国連WFPとしては、このように日々変化する状況のもと、多岐にわたる選択肢のなかから、限られた資金を使って、いかに迅速に、かつ効率よく食糧を供給するかという課題に直面しています。
このような変化の激しい業務のIT化は一般的には向かず、人間の無尽蔵な柔軟性を頼りに、人海戦術で対応するしかないと思われがちです。しかし国連WFPは、この食糧のサプライチェーン管理をデジタル化し、さらに効率性を飛躍的に高める変革を実現しました。
すなわち、デジタルトランスフォーメーションを実現したのです。
国連WFPで活躍するデータ分析と科学的意思決定
効率的なサプライチェーンを実現するために、国連WFPは10年以上もの歳月をかけ、さまざまなシステムを開発し、飛躍的に効率性を高めることに成功しました。
これらのシステムで用いられている分析技術は、図表2のように、「記述的分析」「予測的分析」「処方的分析」の3種類に分類されています。順番にその内容を見ていきましょう。
記述的分析
まず記述的分析として、サプライチェーン管理上の情報を可視化しています。このために、SCMダッシュボードというソリューションが構築されました。
(https://youtu.be/wdEcVj5LTGgより引用)
このダッシュボードにより、世界中の職員が以下のような最新情報を確認できるようになりました。
・支援すべき地域とその状況
・各国にある食糧の在庫と調達状況
・資金の使用状況
予測的分析
さらに、このSCMダッシュボードでは予測的な機能が拡張され、将来の資金や在庫状況の予測を確認し、さらに発生が予測される問題に対してアラートの発信が可能になりました。
たとえば図表4の画面では、在庫の期限が切れたり、多数の貨物が到着する場合には他の港に船の到着を変えるようにアラートを表示しています。
(https://youtu.be/wdEcVj5LTGgより引用)
処方的分析
上記のような状況の可視化や予測も重要ですが、さまざまな選択肢の中から、最善の方法を確実に選択することも非常に重要です。このためにOptimusというソリューションを開発し、SCMのさまざまな領域で科学的に意思決定することを可能にしました。
このOptimusは、「何を調達し、どのような手段で、どこに運ぶべきなのか」を、膨大な組み合わせの中から制約条件に合致させつつ、コストを最小化するための選択肢を示します。
図表5のように、数式で示される整数計画問題として、サプライチェーンの意思決定と制約条件を定式化し、ソルバーを用いて最適解を計算しています。このOptimusにより、シリアとイラクへの支援では5000万米ドルのコストを削減できました。
(https://youtu.be/wdEcVj5LTGgより引用)
データ分析基盤DOTS
上記のSCMダッシュボードやOptimusを実現するには、基本となるデータの整備が欠かせません。しかし形式も更新頻度もマスターも異なるデータを統合するのは困難で、かつては1週間を費やして一部のデータを集約するのが精一杯でした。
これでは日々変化する状況のなかで、食糧供給計画を迅速に立案することはできません。そこで国連WFPではDOTSというデータ統合基盤を構築し、世界中のデータを1日で統合できる仕組みを構築しました。
これにより最新の状況に応じて、最適なオペレーションを計画することが可能になりました。
なぜこのようなシステムを構築し得たのか
なぜ国連WFPはこのような複雑なシステムを、10年もの歳月をかけて実現できたのでしょうか。筆者は、以下の3つがこのプロジェクトを成功に導いた要因だったと考えています。
高いモチベーション
国連WFPのサプライチェーンを統括している副事務局長は、以下のように説明しています。
Data and analytics are great propellers in our mission to save lives and change lives. Through the use of analytics to optimize our operations and improve our targeting, we have been able to save over 150 million US dollars.
「データとアナリティクスは命を救い、人生を変えるという私たちのミッションの大きな推進力となっています。アナリティクスを活用して業務を最適化し、ターゲティングを改善することで、私たちは1億5000万米ドル以上を節約することに成功しました」
すなわち、資金が不足する中でコストを削減すれば、その分だけ多くの人命を救えます。これが分析技術を駆使してコストを削減し、計画のリードタイムを短縮するモチベーションにほかなりません。
専門家の重視と活躍
多数の専門家がプロジェクトに参画している点も重要です。サプライチェーン・マネジメントの専門家のみならず、オペレーションズ・リサーチ、数理最適化、経営科学、計量経済学の修士や博士といった高い専門性をもった人々が集まり、プロジェクトを遂行しています。
これによって勘と経験や人脈によって意志決定するのではなく、科学的な裏付けを持った意思決定を誰でも行える仕組みが構築できました。
他団体との協力を推進するリーダーシップ
他団体との協業も非常に重要な要因と考えられます。大学や研究機関としてはTilburg UniversityやGeorgia Teckと共同で開発にあたり、民間組織としてはUPS、Palantirといった企業と協力しています。
Tilburg UniversityとGeorgia TeckからはOptimusの開発協力を得た一方、PalantirはDOTSのデータ処理の実装に大きく貢献しています。このように、さまざまな団体を巻き込み、必要な技術・人材・資金を獲得するリーダーシップの強力さも成功の要因です。
以上見てきたように、国連WFPは複雑で大規模なシステムを構築し、科学的な意思決定によりオペレーションの革新的な効率化を実現しています。これがノーベル平和賞の受賞にも、一役買っていると考えます。
一般企業でも、デジタルトランスフォーメーションが単なるIT化にとどまるのではなく、真に業務の変革をもたらすことが重要です。データに基づく科学的な意志決定は、その有力な候補の1つになるでしょう。
著者
米沢 隆氏
日本アイ・ビー・エム株式会社
IBMコンサルティング事業本部
技術理事 (IBM Distinguished Engineer)
TEC-J Steering Committeeメンバー
1989年に日本IBMに入社し、ソフトウェア研究開発部門に配属され、1999年より東京基礎研究所と共同で数理計画ソリューションの研究・開発に従事。2008年より設立されたビジネス分析・最適化部門にコンサルタントとして異動し、特にサプライチェーン領域における数理計画ソリューションを用いたコンサルティング業務に従事。2013年には、US INFORMSのEdelman Award Finalistに選出。オペレーションズ・リサーチ学会理事を歴任。2021年にIBM技術理事、オペレーションズ・リサーチ学会Fellow就任。
*本記事は筆者個人の見解であり、IBMの立場、戦略、意見を代表するものではありません。
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