株式会社ウエスト・ブリッジの西橋でございます。
周りの木々が色づき、緊急事態宣言も解除、感染者も激減。観光地ではようやく賑わいを取り戻しつつある今日この頃、皆様いかがおすごしでしょうか。
私の方はようやく、訪問してお話しする回数が増えてまいりました。引き続き、三重マスク、消毒液持参、極力密集地回避でお伺いしております。もちろん、帰宅後も消毒しっかりと。このまま重傷者も感染者も減少が続けばと思うばかりです。
さてこの秋・冬のシーズンといえば、私にとってはやはりラグビー。大学の伝統の一戦、全国大会へ向けた都道府県代表をかけた高校ラガーメンの地方大会、そしてラグビースクールと、ラグビーから多くを学びました。
今回はラグビーという極めて危険だが、足を踏み入れたら抜けられない「世界」(ラガーなら頷くと思いますが、「普通」ではありません)での「備え」について。選手や関係者がどんな「備え」(準備)をしているかなど、エピソードも含めてお伝えできればと思います。
私のラグビーへの関わりは、現役時代(足はやたら速かった。自称)よりも、お世話になったラグビースクール(幼稚園~中学3年)での関係の方が深かったように思います。
転勤後の住まいを依頼した不動産屋から、「ラグビーをやりたいなら、同業の社長さんが熱心にお子さん向けのスクールをやってますよ。大人のチームもあるみたいで」との情報を得て、15年ほどラグビースクールにお世話になり、小・中学生のラグビーに関わりました。
私が参加した当初はまだ出来立てのラグビースクールで、他のコーチ陣たちも「大人なら指導できるんだが、子供にはどうやって?」と毎週、課題満載でした(とくに低学年の子供らは、飽きてくるとボールでなく砂いじり、虫取りなどしていたのを思い出します)。
子供といえども秋の県大会があり、その頂点を目指して練習するのですが、練習試合も連戦連敗、当然県大会も推して知るべしの結果で、私もコーチとしての不甲斐なさを感じていました。
試行錯誤の結果、当時担当していた小学1・2年生の練習メニューを作り直し(とくに月曜の通勤時はラグビーノートに練習メニューの練り直し)、毎週日曜日は早朝から日が暮れるまで、小学年と基礎練習に明け暮れたのを思い出します。
ちなみに練り直した基礎練習は、「ボールをキャッチできること」(ボールが怖くてキャッチできない子もあり)、「相手にボールを確実に渡すこと」(自分のパスが届く範囲をわからせるなど)、「タックルは相手のスピードがつく前に下に入る」(まずは腰から下)などなど。
私の話はさて置き、ラグビーでの「備え」のあれこれですが、冒頭で「ラグビーは極めて危険」と
お話ししたように、あぶない競技なので練習、準備、ゲン担ぎなどを含め選手、関係者はいろいろな備えをしています。
練習はもちろん、安全面にはとくに気をつけ、近年は壊れない体づくりを目指し、筋トレに加えて食生活も工夫しています。
日々の練習前にも、ストレッチャーやAEDはもちろん、緊急時の連絡先や休日診療担当医なども必ず管理者(監督、コーチ、マネージャーなど)が確認し、器具を使うトレーニングも必ず複数人で
実施。またプロテインの摂取も練習や筋トレごとに分けたり、食事も無駄な油分・糖分を摂取しないメニューを選んだりと、まずはしっかり鍛えて、来たる一戦に備えます。
あるチームでは、毎年シーズンの試合ごとに必ず神社に安全と必勝を祈願してお参りし、各出場選手のお札を授かります。
そして多くのスタッフが一点のシミもないよう入念に洗濯・補修したジャージやパンツ、ストッキングと頂いたお札は、各出場選手へ「必勝」の思いとともに託され、選手たちはお札を忍ばせ戦いに臨みます。
試合直前にはロッカールームで部歌などを全員が大声で歌い、あるものは感極まり号泣し、覚悟を決めます(この部歌が終わり、ロッカーのドアを開けるタイミングがめちゃくちゃ難しいと、あるマネージャーから聞いたことがあります)。
当初、ラグビーはレフリーなしでスタートしたと言われています。「えっ、ゲームはどうやって進めたの?」と思われるでしょうが、お互いのキャプテン同士の話し合いでその都度、決めて進めていたようです。
その名残なのかはわかりませんが、ラグビーはキャプテンの重要度がかなり高い競技です。今でもゲーム開始前、試合中、ハーフタイムと、キャプテンのみがレフリーと会話できます(公式には)。
とくに当日のゲームでのレフリング(判定)の基準やポイントを事前にレフリーに確認をすることも、キャプテンの重要な仕事です(勝利への「備え」の1つです)。
また、ある選手の関係者は試合会場に向かう際、事前にルートを確認するそうです。近いルートの選択や混雑回避ということもありますが、「病院などを避けて」というのが主たる前日のルーチンだと聞きました。
一言で言ってしまえば、「ゲン担ぎ」になるのでしょうが、これも親心という「備え」の1つかと思います(「何度救急車搬送や救急車を追いかけ、病院へ向かったことか」とも。)
それから、「ラグビーは極めて危険」にて、チーム・選手とも傷害保険などに加入しています。これも重要な備えで、あるご父兄からこんなエピソードも聞きました。
ある日、保険会社から電話が入り、「兄弟げんかでは保険はおりません」と言われたのに対し、「兄弟でラグビーをやっていて」と返事したところ、保険会社も納得したそうです(2人揃って、同じ病院の同じ部屋に入院したことがあったとも)。
またまた長くなりましたので、締めのエピソード(「備え」)ですが、2年越しの最終戦出場を果たした選手の話です。
ゲーム後、両足のスパイクが脱げないほどの腫れ(足首などが内出血)と痛みで、戻りは車椅子、宿に着いても両足なので松葉杖も使えずに車椅子、「明後日は無理だな」とスタッフ関係者は次のメンバーからその選手の除外を決定しました。
しかし選手本人はバケツに氷水、キンキンに凍らせた保冷剤などで両足首を冷やし続け(足の感覚が冷えでなくなり、戻るとまたバケツの繰り返しをほぼ最終戦早朝まで)、翌々日の最終戦(記念大会にて1日休息日あり)当日の早朝、自分の足で監督室へ向かい先発を懇願。無事に出場を果たして最終戦に勝利しました。
実はこの選手、前年の最終戦は怪我で出場できず、チームも最終戦に敗退、なんとしても出場したかったので冷やしに冷やしたとのこと。関係者も、「最終戦出場は奇跡、あの腫れでは到底無理」とあきらめていたようです。相手チームも前日のシミュレーションで、彼を外していたかもしません。あきらめずに「備える」、あらためて重要かと思います。
今年もラグビーシーズンがスタートしています。ようやく有観客での観戦となるようです。とくに11~12月初旬の大学ラグビー、年末年始の高校ラグビー(大阪花園ラグビー場)など、見る機会があれば、彼ら選手、関係者の「備え」(覚悟)を感じていただけたらと思います。
写真は高校ラガーの聖地大阪花園ラグビー場で開催される「全国高校ラグビー大会」の優勝、準優勝、BEST4の金・銀・銅のメダルです(87回大会、89回大会、90回大会)。
※当件は個人の感覚と記憶によるものなので、時間、表記、表現など至らぬ所などありましたらご容赦下さい。
追伸
10月、11月と大きな揺れが各地で頻発しています。また火山の噴火もありました(軽石も心配です)。備蓄、避難路、連絡網など備えを見直しましょう。
私は10月の揺れで、部屋の上部(自称神棚)にお供えしていた焼酎の瓶を移動しました。「飲み薬」「ワクチン3回目」「酵素の衰退?」など、少し光明が差してきたでしょうか。 しかし、この年末年始はまだまだ感染対策を継続しようと思います。
来年の春のお花見で乾杯しましょう!
株式会社ウエスト・ブリッジ 西橋久陽
デバッグの後のちょっと一杯
第3回 「危機管理・手書きの航空チケット」(3.11時の教訓)について