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発展途上にある「量子機械学習」分野の開拓、プレゼンス向上、技術・普及への貢献をめざして ~TEC-JのWGメンバーを訪ねて❸

量子コンピュータを使って機械学習を行う。そんなはるかに遠い未来譚のような技術の探求が始まっている。TEC-Jのワーキンググループでは、その量子機械学習の探求を、量子コンピュータに詳しいメンバーと機械学習のバックグラウンドをもつメンバーとの交流によって進める。量子機械学習ワーキンググループのリーダー、中村悠馬氏に話をうかがった。

中村 悠馬 氏

IBMコンサルティング 
ヘルスケア&ライフサイエンス 
データ・サイエンティスト 

-- 「量子機械学習」ワーキンググループ(WG)は、どのような経緯で設立したのですか

中村 一昨年までは「量子コンピュータ」WGに参加して、その1つのテーマとして個人的に量子機械学習を調査・探究していました。そのうち2019年になったあたりから量子機械学習が注目を集めるようになり、量子コンピュータWGのリーダーから「独立したWGとして活動してみないか」と提案されたのがきっかけでした。

-- 昨年立ち上げて、今年が2年目なのですね。

中村 そうです。量子機械学習はその後、想像以上に注目されるようになり、ガートナーが今年発表したハイプ・サイクル(先進テクノロジーのハイプ・サイクル 2021年)では「黎明期」に量子機械学習を登場させています(下図)。

先進テクノロジーのハイプサイクル:2021年 出典:Gartner(2021年8月)

-- WGをスタートさせたときには、どのようなことを狙っていたのですか。

中村 量子機械学習を探究していくには、量子コンピューティングと機械学習の知識が必要ですが、その両方をもっているIBM社員は、IBM広しと言えども少数です。そこで、機械学習の知識をもつ人と量子エンジニアの共創によって量子機械学習分野を開拓したいという思いがありました。そして、WGの活動をとおしてメンバーが量子機械学習分野のエキスパートとなり、案件化した際には真っ先に声がかかるチームになることを目指しました。そのほか量子機械学習分野を国内で盛り上げ、IBMのプレゼンスを高めたいという気持ちもありました。

-- 昨年度の活動はどんな感じだったのですか。

中村 WGの設立当時は量子機械学習に関する日本語文献がほとんどなかったので、メンバー個々の知識を相互にスキルトランスファーして量子機械学習の最先端に追いつき、外部向けのコンテンツを充実させようと考えました。最先端のテーマとして取り上げたのは、量子SVM、量子ニューラルネット、量子K-meansという3つのアルゴリズムです。論文の深い理解と実装を通して研究を深めることが狙いでした。

昨年度の活動内容と成果

活動内容
・量子SVM、量子ニューラルネット量子K-means、の3モデルの探索
・月例勉強会やSlackでの情報共有
・最新論文の輪読会
・YoutubeのQuantum Tokyoチャンネルで勉強会の録画の一部公開
・QiitaやLighthouse(IBM社員向け)で量子機械学習のナレッジ発信を推進
・量子機械学習のプロコンに参加

成果
・YouTubeで量子機械学習シリーズを公開
・Qiitaでの量子機械学習アルゴリズム解説
・IBM社内の知的アセット(Lighthouse)への技術コンテンツの登録
・Technical Writing Awardを受賞

-- 成果はどうでしたか。

中村 成果はそれぞれでありました。量子SVMでは既存のチュートリアルよりも高速な実行アルゴリズムを開発でき、量子ニューラルネットではQiskitチュートリアルの改良やアーキテクチャのベストプラクティスの探索、量子K-meansでは最新論文の実装や実機を使った性能比較などを実施しました。そしてそれをベースにYouTubeやQiita、社内ネットワークで情報発信を行いました。

-- YouTubeとQiitaでたくさんコンテンツを公開していますね。

中村 コンテンツがあまりない分野でしたから、それらの情報発信によって社内外でのプレゼンス向上と、量子ネイティブ人材の育成に貢献できたと思っています。

YouTubeとQiitaでのコンテンツの公開

◎YouTube
・量子機械学習-1 QSVM 
https://www.youtube.com/watch?v=tuCaRRHoSdI
・量子機械学習-2 量子K-means 
https://www.youtube.com/watch?v=FC6X2sJ9a_I
・Qiskitチュートリアル勉強会 量子機械学習編-1 
https://www.youtube.com/watch?v=_b5RSqieIJ4
・Qiskitチュートリアル勉強会 量子機械学習編-2 
https://www.youtube.com/watch?v=9LKbqPvT2gc

◎Qiita(下記は一部)
・量子機械学習におけるライブラリ/チュートリアル開発状況まとめ 
https://qiita.com/ucc_white/items/43f2a91c7f67b88f4923
・Qiskitで量子SVMを実装して性能評価してみた
https://qiita.com/ucc_white/items/f2ea0d019979dd675f82
・Qiskitで任意の確率分布を再現する 
https://qiita.com/ucc_white/items/b6df173f4aeb8fe19935

-- 先ほど、量子機械学習には量子コンピューティングと機械学習の双方の知識が必要というお話がありましたが、WGではそれぞれのバックグラウンドをもつ人が集まって、バランスよくスキルトランスファーが進んだのですか。

中村 そこが昨年度の反省点の1つで、昨年度は結果的に量子コンピュータのバックグラウンドをもつ人がメンバーの大半になりました。そのため研究のテーマが量子コンピュータの基礎知識を前提にするものになってしまい、機械学習をやってきた新メンバーにとってはかなり難易度が高い内容となりました。そうしたメンバーの偏り、研究レベルの問題、開催頻度などが反省点で、社内外への情報発信でも改善すべき点がありました。

要は、機械学習をやってきた人にとっての量子コンピュータは、量子コンピュータをやってきた人にとっての機械学習よりもハードルが高い、ということを見落としていたのですね。

-- 今年度はどのような活動プランですか。

中村 まずはメンバーの偏りを是正しようと考え、データサイエンティストのコミュニティで宣伝活動をし、これぞという人にDMを送ったり声がけをしました。「一緒にやりませんか」というお誘いですね。その結果、機械学習を10年やってきた人を含めて、41人という多様なスキルセットをもつ人たちが集まることになりました。

もう1つは、活動の柱を「テキストの輪読会」と「特定テーマの深掘り」の2つに分け、前半を輪読会、後半を特定テーマの深掘りにしました。

輪読のテキストに取り上げたのは、量子コンピュータの基礎も学べる『量子コンピュータによる機械学習』という書籍です。1人1節の担当として、データサイエンティストには量子コンピュータの章を、量子コンピュータに詳しい人には機械学習の章を担当してもらうことにして、3週間に2回(2週連続で開催し1週休み)、1回に20~30ページを目安に進めることにしました。だいぶゆっくりとしたペースです。

今年度の活動内容

活動計画/進捗
・量子機械学習の教科書の輪読
・量子機械学習のサマースクールの内容を元にした日本語解説コンテンツ作成
・特定テーマの深掘り
   -量子SVM(継続)
   -量子ニューラルネット(継続)
   -量子自然言語(新規)
   -検討中(新規)

・英語のブログ作成
・量子機械学習のプロコンがまた開催されれば参加
・データサイエンティストのメンバー勧誘(機械学習歴10年のベテランにも参加してもらった)
・量子コンピュータ提案活動チームを通じて作成したコンテンツをクライアントに紹介
・論文化のアイデアを議論中

想定される成果/成果物の活用予定
・英語ブログの追加記事
・Qiitaのアドベントカレンダー
・量子コンピュータ提案活動チームにヒアリングを行い、クライアントへの紹介用コンテンツの追加
・できれば論文化

輪読のテキスト『量子コンピュータによる機械学習』

第1章 はじめに
第2章 機械学習
第3章 量子情報入門
第4章 量子優位性
第5章 情報の符号化
第6章 推論のための量子計算
第7章 量子計算による学習
第8章 量子モデルを利用した学習
第9章 これからの量子機械学習

Maria Schuld・Francesco Petruccione 著
大関 真之監訳 荒井 俊太・篠島 匠人・高橋 茶子・御手洗 光祐・山城 悠訳
共立出版 2020年08月刊
https://www.kyoritsu-pub.co.jp/bookdetail/9784320124622

-- 1人1節とは、ずいぶん細かく担当を分けましたね。

中村 発表のハードルを下げたかったのと、輪読会参加者に前半の基礎事項部分で1回、後半の最先端の量子機械学習アルゴリズム部分で1回担当が回ってくるようにするのが狙いです。前年度は研究のレベルが高かったために担当者の負担が大きく、月1回の予定が1.5カ月に1回開催するのがやっとでした。それだとモチベーションが切れてしまいがちで、参加者も減る結果でした。

今年度は毎回、録画スライドを毎回残すようにし、参加できなかった人も後からキャッチアップできるようにしました。

活動プランとしてはそのほか、社外でのプレゼンスを高めることを目的に、Qiitaへのブログ投稿や勉強会の内容をYouTubeへアップすることなども視野に入れています。

-- テキストとして『量子コンピュータによる機械学習』を取り上げた理由は何ですか。

中村 輪読会のテキストを探している時点では、この本くらいしか適当な書籍がなかったのと、著者のマリア・シュルト(Maria Schuld)さんとフランチェスコ・ペトルチン(Francesco Petruccione)さんは量子機械学習の権威ということもあり採用しました。マリアさんは学者であり量子コンピューティング分野のベンチャーもやっています。

-- 現在はどのような段階ですか。

中村 7月初旬に輪読会をスタートして、現在5章まで進んでいます。年内いっぱいで輪読を終え、年明けから「特定テーマの深掘り」へ進む予定です。

-- 何か気づきはありましたか

中村 まだ仮説段階ですが、データに周期性があると量子機械学習に向くのではないかということと、少ないデータ数の領域では古典コンピュータよりも量子コンピュータのほうが精度を出せるということを、論文の精読や数値実験で実感しました。分類問題で何割かの確率でエラーが発生するときは、量子機械学習のほうがモデルが破綻しにくいという観点です。そこを詰めていくと面白い発見ができるかもしれないと感じています。

-- 1月からスタートする「特定テーマの深掘り」についてご紹介ください。

中村 昨年度は主要テーマを3つに絞りましたが、今年度はもう1つ加える予定です。昨年度から継続の「量子SVM」「量子ニューラルネット」と新規の「量子自然言語」、そしてもう1つを検討中です。

-- 順調なようですね。

中村 機械学習に精通している人が多数メンバーになってくれたことが大きな成果で、機械学習のモデルを評価する際などに、理論的にいいか悪いかをコメントしてもらえることが非常にいい刺激になっていると感じています。

輪読のほかには、Qiskitのグローバル・サマースクールの内容をもとにした日本語解説(*)や英語ブログ(**)を作成しました。また、お客様に量子コンピュータの提案活動を行っているチームにWG作成のコンテンツを紹介してもらったりもしました。今後も英語ブログの投稿や年末のQiitaアドベントカレンダーへの寄稿、量子コンピュータの提案活動チームへのヒアリングを行って、お客様向けのコンテンツを充実させていく予定です。

(*)Qiskitのグローバル・サマースクールの内容をもとにした日本語解説
「2021 Qiskit Global Summer School on Quantum Machine Learning」
https://qiskit.org/textbook-beta/summer-school/quantum-computing-and-quantum-learning-2021/

(**)英語ブログ
「Systematic Preparation of Arbitrary Probability Distribution with a Quantum Computer」
https://medium.com/qiskit/systematic-preparation-of-arbitrary-probability-distribution-with-a-quantum-computer-165dfd8fbd7d

-- 量子機械学習は実用化までまだ相当な時間がかかると思いますが、今量子機械学習を学ぶ理由は何ですか。

中村 いろいろありますが、量子機械学習を学ぶ中で一般の機械学習の理論を知ることは、とても大きな意味があると思っています。一般の機械学習の視点ではなく、量子コンピュータという別の角度からの俯瞰の視点です。機械学習をやってきた人にとっても、量子機械学習という別の角度から眺めることによって、機械学習に関してより太いバックボーンをもてるようになると感じています。

また、この分野に足を踏み入れることで、量子機械学習の実用化の技術課題などについて肌感覚が身につき、情報の価値や意味を吟味できるようになります。その感覚や裏づけとなる知識をもつことは、非常に重要です。進展がものすごく早い分野なので、さまざまな疑問・問題が1~2年という短いスパンで解決されていくのを垣間見るのも面白いと思います。

そのほか、この分野への貢献も考えているので、発展途上の量子機械学習はよりチャンスが大きいと思えます。もしもWGで新しい発見ができたら学術的にもインパクトが大きく、プレゼンスを高めることにもつながります。また学術的な発見がなくても、一般の人への啓蒙など貢献できるテーマはいろいろあると思います。

-- 量子機械学習のための人材育成に関して、必要なものは何だと思いますか。

中村 量子機械学習は、量子コンピュータの基礎事項を知らないと理解困難になるのが人材育成のボトルネックなので、量子機械学習を学ぶための必要最小限の知識をまとめた量子コンピュータに関するコンテンツが必要だと感じています。
 私としては、量子機械学習に入門する人のためにそのハードルを下げるサポートをできる限り行っていきたいのと、入門用コンテンツを充実させていきたいと考えています。その一環でもありますが、「物理学の世界地図」(★*)のようなマップを量子機械学習用に作成できたらよいなと思っています。それがあると、多様なスキルセットをもつ人が量子機械学習分野でテーマを見つけやすくなるのではないか、と思えます。

(*)Qiskitのグローバル・サマースクールの内容をもとにした日本語解説
「2021 Qiskit Global Summer School on Quantum Machine Learning」
https://qiskit.org/textbook-beta/summer-school/quantum-computing-and-quantum-learning-2021/

(**)英語ブログ
「Systematic Preparation of Arbitrary Probability Distribution with a Quantum Computer」
https://medium.com/qiskit/systematic-preparation-of-arbitrary-probability-distribution-with-a-quantum-computer-165dfd8fbd7d

中村 悠馬 氏

IBMコンサルティング
ヘルスケア&ライフサイエンス
データ・サイエンティスト

2018年IBM入社。入社時よりヘルスケア領域の機械学習プロジェクトに従事。
IBMの量子コンピュータライブラリQiskitのDeveloper資格、Advocate資格を保持。入社前は中国清華大学で計算機化学分野の修士号を取得後、米国オークリッジ国立研究所で量子コンピュータを研究。入社後は機械学習を本業とし、両者の知見を組み合わせ、量子機械学習を探求。

*本記事は話し手個人の見解であり、IBMの立場、戦略、意見を代表するものではありません。


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TEC-J技術記事https://www.imagazine.co.jp/tec-j/

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