森本 祥子 氏
日本アイ・ビー・エム株式会社
グローバルテクノロジーサービス
デリバリー&トランスフォーメーション
ディスティングイッシュド エンジニア
TEC-Jバイスプレジデント
COSOSアドバイザー
大手外資系通信機メーカーに8年間勤めた後、日本IBMへ転職。SEとして新たなスタートを切った森本祥子氏は、その後、ネットワークインフラエンジニアとしてのキャリアを重ねていき、2019年にIBMにおける最高の技術職位である「ディスティングイッシュド・ エンジニア」を得た。エンジニアコミュニティの活動にも積極的に関わってきた森本氏に、キャリアと市場、目下の取り組みなどについて話をうかがった。
-- 森本さんは新卒で、大手外資系の通信機器メーカーに就職されたのですね。
森本 無線通信の研究開発部門に配属されて8年間在社しました。そこでハードウェア、ソフトウェア、端末のさまざまな開発を担当し、数学、通信工学、プログラミング、プロトコル、論理思考などの基礎的な素養を身に付けました。在社の終わりの頃には次世代システムの標準化をめぐるロビー活動のようなことも経験しました。そのときに、日本企業は優れた要素技術を備えていると感じる一方で、大きなシステムを企画、構築するという観点では日本市場は閉鎖的なところがある、と感じたことを覚えています。エンジニアとしてはとても充実した8年間でした。
-- そして日本IBMへ。通信系から情報系への思い切った転職ですね。
森本 いわゆる「ゼロ系スタート」という入社の扱いで、新卒の人に混じって新人研修を受けました。最初に配属されたのが首都圏地域のSE部門で、初めての担当プロジェクトは、DB2を UDB(*)を移行するAS/400, OS2ベースのプロジェクトのリーダーでした。お客様や協力会社様と一緒に設計、計画を行い、先輩方のサポートも借りながらトラブル解決するなど、仕事の仕方も含めてそれまでとはまったく異なるフィールドワークとなり、大きな刺激を受けながら多くのことを学ばせていただきました。。
(*)DB2ユニバーサルデータベース。階層型のデータベース管理システム。この呼称は現在使われていない。
-- その後はどのような仕事ですか。
森本 2000年にネットワークサービス事業部が新設されることになり、そこへの異動となりました。当時、いろいろな分野で業界再編の動きが活発で、企業の合併・統合に伴うネットワークやデータセンターなどのインフラ整備が大きなテーマだったのです。異動した当初は、インフラ整備のための計画・設計が主な仕事でした。お客様のなかには合併を機に本社を新築される企業もあって、ゼネコンと一緒になって、ネットワークやデータセンターの設計を一から丸ごと担当したこともありました。また、インターネットのビジネス活用も活発になっていった時期とも重なり、社内、社外を含めたさまざまなタイプのネットワークインフラの設計開発を担当することができました。
2000年代半ばにはユニファイド・コミュニケーション製品を活用したシステムの設計・開発担当となり、電話システムとコラボレーションツールを統合した「Lotus Sametime Unified Telephony」などのデリバリーを担当しました。当時は専用の大きな帯域でないと画像をきれいに送れなかったので、苦労しました。それから徐々に、システム開発からメソドロジーやアーキテクチャ・デザインのほうへと仕事の重心が移っていきました。
-- それはどういう仕事でしょうか。
森本 企業のネットワーク全体、システム全体を設計方法論や手法を活用してデザインする仕事です。当時、「ネットワーク・アーキテクチャ・デザイン」(NAD)という設計手法がIBMのグローバル全体で開発され、私はその講習を日本で最初に受けた1人でした。そしてNADを使ったお客様システムの設計を2006年から始めています。
-- NADはどのような手法ですか。
森本 設計の前に、何のためのネットワークなのか、何を実現するネットワークなのかを考えます。次にその目的のためにネットワークをどのように使うのかを明確にします。具体的にはユーザー側の所在や端末などの想定と、利用するアプリケーションやシステムを考慮したユースケースを作ります。つまり、利用パターンの全体像を想定してシステム全体を構想するのが最初のステップです。次に、機能要件と非機能要件を整理し、さらにそれらの実装にはどのような機能コンポーネントが必要かを検討し、機能コンポーネントのつなぎ方を考えることで、最終的にシステム全体を整合性の取れた形で動くようにするのがアーキテクチャ・デザインの考えです。
NADの考え方は、構築するシステムがどのようなものであっても変わりません。機能コンポーネント以降の構成は、実装するタイミングで採用する技術が違ってきますが、デザインの流れとしては、どのようなシステムであっても同じです。
最近はデザイン・シンキングが注目を集めています。「ペルソナ」を立て具体的な利用シーンを考え、実体験を踏まえたりイメージしながら使いやすい優れたデザインを生み出す手法ですが、目的を明確にしてデザインを進める点ではアーキテクチャデザインと似ていると考えています。
-- 機能コンポーネントを実現する技術として今、注目しているのは何ですか。
森本 それは、ソフトウェアですね。今は何もかもがソフトウェア化の方向へ動いています。システムをソフトウェア化することによって自動化が可能になり、システムの信頼性をより高めることもできます。ソフトウェア技術からは目が離せません。
-- ネットワーク分野でも革新が進んでいます。今はどのような状況にあるのでしょうか。
森本 ネットワークはこれまで、LAN、WAN、インターネットの3つに大別されていました。しかし端末や利用者の所在の多様化により現在はその区別が意味をなさなくなり、あらゆるネットワークをインターネットとみなすようになっていると言っていいかと思います。実際に、あらゆる端末が直接インターネットにつながるようになっています。
それに関連した最近の変化は、ゼロトラスト・ネットワークです。LANやデータセンターはファイアウォールの内側にあるから安全と考えられてきましたが、今や端末や通信はLANとLANの外を自由に行き来し、LANの内外はほぼ同じ状態とみなせるようになっているので、相応の対応が必要になりました。ゼロトラストはエンドツーエンドであらゆる通信に対し様々なセキュリティ対応を求めるのでなかなか実装が受け入れられなかったのですが、新型コロナがきっかけとなり、お客様の意識が一変したように感じています。
とはいえ、ゼロトラストはネットワークだけの問題ではないので、一足飛びには実現できません。端末、インフラ、アプリケーション、ID管理などのすべてのレイヤでセキュリティを適切に設定する必要がありますし、使う人の考え方も変えなければなりません。アクセス認証1つをとってみても、詳細なIT資産とユーザーの認可設定を検討する必要があるなど、ユーザーに負担を強いる部分が出てきます。そうした負担に対する理解が不可欠です。
ただし、そのすべてをユーザーが単独でやる必要はありません。ゼロトラストの実現を支援するクラウドサービスの利用などへシフトする考え方もあります。実現方法はいろいろ登場しています。
-- 今は何に取り組んでいるのですか。
森本 IBMがグローバルで推進中の「Dynamic Delivery(ダイナミック・デリバリー)」を日本で提供するためのプロジェクトに、参画しています。Dynamic Deliveryは、これまでオンサイトで行ってきた開発・運用のすべてを、リモートからオンラインで行うためのフレームワークです。新型コロナによって働き方や仕事のやり方が大きく変化しましたが、それに合わせて開発・運用の方法や業務の進め方、ITインフラを抜本的に改めましょうというメッセージを、IBMでは世界に向けて発信しています。Dynamic Deliveryはそのためのフレームワークで、日本では昨年(2020年)夏からエンジニアや人事・財務などの業務部門の担当者をメンバーとするプロジェクトが立ち上がり、準備を進めてきました。
-- オンラインでの開発・運用を具体的にどのように実現するのですか。
森本 目下は5つのフレームに分けて取り組みを進めています(図表1)。この中には、開発・運用に関わる人たちのコミュニケーションをどうデザインするか、プロジェクトのマネジメントをどう実践するか、開発・運用担当者の人事評価をどう行うべきか、などのさまざまな課題があり、それらを1つ1つ検討しています。
-- 「ツール&アセット活用」はどのような内容ですか。
森本 これは「2-1」「2-2」のIT基盤や環境を支えるもので、オープンソースや標準的な技術をベースに、お客様も協力会社の人たちも誰もが共通に使えるツールやアセットになります。
-- 企業文化やワークスタイルの改革も含めているのですね。
森本 業務の進め方や働き方が変わり人事評価まで関係してくるとなると、企業が築いてきた文化を改革する必要も出てきます。それをうまくプロモートし推進するためのメソッドについても、Dynamic Deliveryのなかで検討しています。
-- 一挙に実現するのは難しそうですね。
森本 今は4つのステージで進めることを考えています。ステージ1は「情報連携・コラボレーションのデジタル化」で、お客様を含めて開発・運用に携わる人のコミュニケーションを効果的に行える基盤を整えます。ステージ2は「セキュアなクラウド開発環境の提供」で、DaaSなどを使っていつでもどこからでも開発・本番環境にセキュアにアクセスできる環境を提供します。そしてステージ3で、DevSecOpsのツールチェーンやInfrastructure as Code技術を利用して「業務開発・基盤構築の自動化」を実現し、ステージ4でAIによる「開発・運用のインテリジェント化」を目指す、というシナリオを描いています(図表2)。
-- 森本さんはエンジニアのコミュニティにも積極的に関わり、リードしているお立場です。若いエンジニアたちにメッセージをお願いします。
森本 情報技術分野はテクノロジーがどんどん変わっていくので、それを追いかけるのも面白いですし、好奇心があればさまざまなことにチャレンジできる環境も広がっています。そうした中で、若いエンジニアにとって特に重要だと思うのは、世の中のいろいろなことが情報技術で動くようになっているので、技術の基礎や元となる考え方をキャリアの初期にしっかりと身に付けておく、ということです。技術の土台がなければ、新しい技術を追いかけても流されるだけになってしまいます。
そのためには技術に触れてみる、使ってみることが非常に大切です。本を読んで理解してから取り組むのではなく、いきなりやってみればいいのです。それで身にならなかったら捨ててしまい、次の技術にチャレンジすればいいだけです。そうしたことを繰り返していくと、技術の見方やセンスが磨かれていき、自分に合った技術ややり方がだんだん見えてきます。エンジニアにとっては面白い時代です。
森本 祥子氏プロフィール
外資系通信機メーカーの通信システム R&D部門を経て、1998年に日本IBM入社。アーキテクチャ・デザインやネットワーク設計手法、プロジェクトの実施経験をもとに、ITインフラ全体を俯瞰したネットワーク・セキュリティインフラの技術コンサルティングサービスやネットワークインフラの設計・構築を担当。2019年にこれまでの貢献を評価され、米IBM本社からディスティングイッシュト・エンジニアの称号を付与され、技術理事に就任。2018年から日本IBM社内の女性技術者コミュニティ「COSMOS」のアドバイザー、2019年からTEC-Jのバイスプレジデントを務める。趣味はロードバイクとスキー。10年前から書道に勤しむ(下の写真2点)。
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