エンゲージメントが注目されている
皆さん、こんにちは。日本を元気にする旅の第3回です。前回は海外から見た日本のものづくりの特徴を、「ウォーム・テクノロジー」と「クリーン&ヘルシー」として捉える話でした。そこではものづくりにおいて日本人がもっている、人に対する思いやりをかたちにする技術と、自然の生命を人間の生命と同じように尊重する技術が浮き彫りにされました。この特徴は日本人には当たり前すぎて認識できず、外国人の目で捉えられたものでした。そこで使われた分析システムは、意識の底にある価値観をあらわにするもので、それによって私たち日本人の人との関わり方に独自性があり、自然やものとの関わり方が外国人から見て価値があると見えたわけです。
今回は人と世界との関わり方について、「エンゲージメント」という言葉を中心にして、さらに関係性の旅を続けてみたいと思います。というのも最近IT業界において、ネットによるつながりを前提とした「システム・オブ・エンゲージメント」という言葉がよく使われます。一方で人事や人財育成の分野でも、従業員の「エンゲージメント」を高める施策が注目されています。IT、組織開発において「エンゲージメント」が期せずして脚光を浴びているのはなぜなのか、それは日本の未来に何を示唆するのか。これが今回の旅の出発点です。
ITの変遷と今後を表す言葉として使われているのが、「システム・オブ・レコード」と「システム・オブ・エンゲージメント」です。この言葉は、ジェフリー・ムーアが2011年の「企業ITの未来」というレポート(*1)で使って広まってきたものです。
創造性や変化への適応を生む源泉
これまでの生産管理システムや給与システムなど、バックオフィスとして企業の仕組みを支えてきた情報システムは、ビジネス・プロセスを効率よく正確に遂行するものとして、「システム・オブ・レコード」と呼ばれます。一方でデジタル化された社会では、さまざまなものや人や出来事がインターネットでつながっています。それによって多種多様なセンサーやものや人が関係をもつ、デジタル世界が出現しつつあります。「システム・オブ・エンゲージメント」は単にソーシャル・ネットワークのように人と人との新たな関係を促進するだけでなく、デジタル化された社会全体の関係を構築するものだといわれています。図表1では「絆を作るためのシステム」とありますが、エンゲージメントという言葉はあまり使われない言葉なので、ちょっとわかりにくいですね。そこで人事の分野でのこの言葉の意味を見てみましょう。
「エンゲージメント」は、企業のパフォーマンスを向上させるためのキーワードとして出てきます。たとえば、法政大学の石山恒貴教授が「日本労働研究雑誌」に寄稿した論文は、「アメリカの労使コミュニケーション、企業事例に見るリーダーを核としたエンゲージメントの実現」(*2)というタイトルで、アメリカのGAP社とGE社でのエンゲージメントの取り組みについて紹介しています。
これら2社では変化の激しいグローバル競争の中で、より創造性の高い企業、スピードを追求できる企業となるために、「エンゲージメントの実現」を目指しています。そこでは「エンゲージメント」とは「従業員一人ひとりが組織の目標に自ら貢献したいと思う強い気持ち」(GAP)であり、「従業員が自分の仕事の重要性を理解し、大切な役割の一部を担っていると感じること」(GE)であると定義しています。つまり単なる社員満足度や忠誠心ではなく、従業員一人ひとりが主体的に組織と関わり合うことがエンゲージメントです。
この主体的な関わり方こそが、ビジネスの創造性やスピーディな変化への適応を生む源泉となります。あらかじめ定義された自分の仕事を行い、設定された目標達成を管理するという従来のやり方では、グローバルで多様な世界の変化に適応していくことができません。目標そのものを常に見直す必要がある時代、常に新しいサービスを生み出す必要のある時代には、個人が主体的に組織を通じて価値を実現することが求められているわけです。
ジャパン・アズ・ナンバーワン時代にあった
エンゲージメント
ここでちょっと立ち止まって、1980年代に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれた、あの時代の日本企業の強さを思い出してみましょう。同じタイトルの本(*3)の著者、エズラ・ヴォーゲルは日本企業の強さを終身雇用、企業内福利厚生、比較的小さい賃金格差などに求めましたが、その前提として日本人のもつ学習意欲の高さと、新聞を含む読書量の多さを指摘していました。企業理念を唱和し、組織と自分の関係を会社の行事やプライベートな場でも育み、海外の新しいものを取り入れながら、残業を気にすることなく自分の仕事の改善に取り組み喜びを感じた時代でした。「学習」が「変化」と同義語であるとすれば、日本企業は変化に対する意欲がアメリカ企業に比べて約2倍も高かったわけです。
このときの個人と企業の関係はまさにエンゲージメントそのものではないでしょうか。それが個人の成果を評価する仕組みに変わり、目標管理制度が導入され、同じ企業の中での個人と個人、組織と組織の対立をあおるかたちになるとともに、日本企業の強みであったチーム力、個人と組織のポジティブな関係が失われていきました。
その間に欧米企業はグローバル化、ITによる金融サービスの多様化、ネットワーク化によってビジネスの拡大を図りました。日本企業の停滞を尻目にアメリカを中心とした欧米企業の時代となりましたが、サービスビジネスにシフトしていく中で、企業は強いリーダーとトップダウンを支える人事制度から、創造性を発揮する現場の社員と、かれらをアドホックなチームとして組織し処遇することができる、柔軟な仕組み作りに移行してきました。
もう一度GAP社の取り組みを見てみましょう。GAP社は「従業員一人ひとりが組織の目標に自ら貢献したいと思う強い気持ち」を高めて、企業の価値実現に従業員の積極的な参画を求めています。企業と社員の関係のこのようなあり方は、かつての日本企業が欧米企業に対する優位性として賞賛された、組織力そのものではないでしょうか。
さらに、ITによるデジタルなネットワークが企業内の関係に与える影響について考えてみます。
ソーシャル・ネットワークの進展によって、社会と個人の距離が急速に縮まりました。世界中の人たちとつながることが容易になり、さまざまな側面をもった自分と、それぞれの分野の人たちとのコミュニティが作られています。また会社もフェイスブックなどに情報を発信して、「いいね」と言ってもらいます。これらの見えやすくなった関係の中で、自分と会社との距離を縮めやすくなりました。その結果、社会における会社の価値と、それに関わる自分の仕事の関係を捉え直すことが、むしろ求められるようになっています(図表2)。とくにミレニアル世代といわれる1980年代以降に生まれた人たちは、自分の仕事の社会的な意味について納得することが、仕事を続けるうえでとても重要になっています。その意味でエンゲージメントは企業にとってさらに大切な要素になります。
エンゲージメントを価値創造のための社会や会社、個人との関係の向上というふうに理解したうえで、情報システムの言葉である「システム・オブ・エンゲージメント」について、もう一度考えてみましょう。
判断を支援する
「システム・オブ・エンゲージメント」
これからデジタル化が進む世界では、人間が関与することなく自動的にデータが交換されることで、膨大なデータを基にしたデジタル・インターネット世界が出現します。ちょうど脳細胞が視覚、聴覚、味覚、触覚などの末梢神経情報を統合することで、見えているものと聞こえているものが脳内で統合されて1つのイメージをかたち作るように、デジタル空間に現実が再現されるわけです。この世界は図表3のように我々の現実である「与えられた世界」のコピーなので、現実の複雑さと予測不可能性をそのままもっています。つまりデジタルではありますが、必ずしもロジカルではなく、人間でいうと膨大な規模の無意識の世界を作り出しているといえます。
デジタル化された情報は、一度記録されると何度でも編集可能です。現実のように一過性のものではなく、繰り返し利用可能なデータなので、時間の制約を受けません。アナリティクスといわれる分野のシステムは膨大なデータを解析することで、これまで気づかなかった因果関係を見つけることができます。以前であれば、偶然とかご縁といっていたものの中に、反復できる関係を見つけられるかもしれません。またWatsonなどのコグニティブ・コンピューティングといわれるシステムは、人が作ったプログラムに基づいて動くのではなく、システムが学習したロジックに基づいて、課題の回答とその実現可能性を提案します。拡大し続けるデジタル社会という無意識の世界の中で、このようにさまざまなロジックや因果関係を認識し、現実世界への関わり方に対する示唆を与えるシステムが、システム・オブ・エンゲージメントです。つまりこれまでのシステム・オブ・レコードが脳の記憶をサポートしたとすると、このシステムは脳の判断を支援するわけです。
この関係性を作り出すシステムを活用していくためには、システムの提案を積極的に受け入れながら、自分の仕事を主体的に選択すること、それによって企業理念を実現しようとすることが求められます。よりよい世界を作っていこうという私たち人間の「エンゲージメント」の向上が必要です。システムが関係性を促進すればするほど、人のエンゲージメントを高める必要があるということです。最近企業において「エンゲージメント」が話題になるのはこういった時代の要請もあるからでしょう。
養老孟司さんによると、人間の脳は空間での自分の位置を知るために、自分の座標をもたないのだそうです(*4)。身体のすべての末梢神経と同じ並びの神経細胞が大脳皮質に展開されていて、その位置関係で空間を認識するそうです。つまり中心がないわけです。この位置の決め方はとても原始的で手間がかかりますが、個々の神経細胞がすべてのほかの神経細胞との関係を認識していると考えると、オープンでフラットな判断方法だといえます。さまざまな変化に適切に対処するためには、絶対的な中心をもつのではなく、個々の位置をほかの位置との相対関係によって捉えるほうが優れています。この認識の仕方は変化する世界の中で、自分の位置を意識し仕事の意味を常に問い直す、エンゲージメントにもつながります。
IoTによるデジタル世界の構築は、自分と世界との間の距離を短縮させます。と同時に新たな関係を広げていきます。中心をもたないネットワークは、変化に応じた新たな自分のポジションを柔軟に作ります。システム・オブ・エンゲージメントは我々に対して、脳のもつ柔軟でフラットな関係構築力と世界認識力の拡大を、インターネットにあらゆる非定型データをつなぐことで支援していきます。
主体的に関わることが必要になる
日本のものづくりは「ウォーム・テクノロジー」と「クリーン&ヘルシー」ということで、人へのおもてなしのための技術や、自然の生命を大切にする技術を育ててきました。それは私たちの脳のように、中心をもたない関係を基にして、つまり一つひとつの存在が大切であり、すべてがすべてと関係し合うことを前提として、人や物をつないでいく技術でした。
今回の「エンゲージメント」の旅では、社会がデジタル化すればするほど、仕事においてもプライベートの関係でも、自分が主体的に関わることが必要になることがわかりました。チームラボの猪子寿之さんが、「デジタル社会ではロジカルなシステムはすぐにコピーできてしまうので価値が低く、人に感動を与える仕組みや、共感を呼ぶシステムが高い価値を生む」と言っています。そして、チームラボのデジタル社会における創作物やチーム作りの考え方が、日本だけでなく世界で高く評価されつつあります。これは、まさに人との共感を大切にし、山川草木すべてに生命を認める日本人の、オープンでフラットな感性を基にしたエンゲージメントの仕方です。いまこそこの日本人のもっている脳の働きに素直な感性を、ITを活用しながら新しい組織作りに生かしていくタイミングです。そうすることで個人と組織と社会と自然がすべて緊密につながり、よりよい世界を作ることが可能になるはずです。
いったん周回遅れになり、個人と会社と社会の関係を見失いかけた日本企業ですが、この、日本の強みとエンゲージメントをデジタル社会において強く意識することで、社会と自分とシステムの関係性が変わっていき、その結果、よりよい世界、日本の元気につながっていくのではないでしょうか。
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● 参考文献
(*1)「Systems of Engagement and the Future of Enterprise IT」Jeffrey Moor著、http://bit.ly/logos03_01
(*2)「アメリカの労使コミュニケーション、企業事例に見るリーダーを核としたエンゲージメントの実現」石山恒貴著、日本労働研究雑誌 2015年8月号、http://bit.ly/logos03_02
(*3)『ジャパンアズナンバーワン』エズラ・F・ヴォーゲル著、阪急コミュニケーションズ
(*4)『唯脳論』養老孟司著、ちくま学芸文庫
(*5)「ビジネスはすべてがテクノロジーとなり、そしてすべてがアートであった時のみ、生き残っていく」猪子寿之、http://bit.ly/logos03_03
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著者
片岡 久氏
株式会社アイ・ラーニング
アイ・ラーニングラボ担当
1952年、広島県生まれ。1976年に日本IBM入社後、製造システム事業部営業部長、本社宣伝部長、公共渉外部長などを経て、2009年に日本アイ・ビー・エム人財ソリューション代表取締役社長。2013年にアイ・ラーニング代表取締役社長、2018年より同社アイ・ラーニングラボ担当。ATD(Association for Talent Development)インターナショナルネットワークジャパン アドバイザー、IT人材育成協会(ITHRD)副会長、全日本能率連盟MI制度委員会委員を務める。
[IS magazine No.9(2014年9月)掲載]
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ロゴスとフィシスの旅 ~日本の元気を求めて
第1回 世界を主客一体として捉える日本語の感性をどのようにテクノロジーに活かすか
第2回 「Warm Tech」と「クリーン&ヘルス」という日本流技術の使い方はどこから生まれるか
第3回 デジタル社会では、組織・人と主体的に関わり合うエンゲージメントが求められる
第4回 技術革新と心と身体と環境の関係
第5回 忙しさの理由を知り、「集中力」を取り戻す
第6回 自分が自然(フィシス) であることをとおして、世界の捉え方を見直す
第7回 生まれてきた偶然を、必然の人生に変えて生きるために
第8回 人生100 年時代 学び続け、変わり続け、よりよく生きる
第9回 IoTやAIがもたらすデジタル革命を第2の認知革命とするために
第10回 デジタル化による激しい変化を乗り切る源泉をアトランタへの旅で体感
第11回 「働き方改革」に、仕事本来の意味を取り戻す「生き方改革」の意味が熱く込められている
第12回 イノベーションのアイデアを引き出すために重要なこと
第13回 アテンションが奪われる今こそ、内省と探求の旅へ
第14回 うまくコントロールしたい「アンコンシャス・バイアス」
第15回 常識の枠を外し、自己実現に向けて取り組む
第16回 人生100年時代に学び続ける力
第17回 ラーナビリティ・トレーニング 「私の気づき」を呼び起こす訓練
第18回 創造的で人間的な仕事をするには、まず感覚を鍛える必要がある
第19回 立ち止まって、ちゃんと考えてみよう
第20回 主体性の発揮とチーム力の向上は両立するか