仕事時間が減ったのに、なぜ忙しいのか
日本を元気にする旅の第5回です。先日、ATD(Association of Talent & Development)ジャパンの分科会で、「テクノロジーがこれだけ進歩したのに、なぜますます忙しいのか」という話になりました。確かに技術の進歩によって仕事が楽になり、生活が便利になり、とくにコンピュータは何日もかかっていた計算を瞬時にやってくれようになりました。なので、本来であれば残業なんかすることもなく、もっと余暇を楽しんでしかるべきです。ところが現実にはITの出現によって以前よりもさらにせわしなく、忙しくなった気がします。何故なのでしょうか。
まず労働時間はどう変化したのかを見てみると、1965(昭和40)年に2312時間だったのが2009(平成21)年には1777時間に減少しており、この時点で約4分の1の労働時間が余暇に回っている勘定です(図表1)。この数字を見る限り、仕事時間で忙しくなったわけではありません。むしろ余暇を楽しむ人が増えたと思います。
総労働時間は減っているにもかかわらず、忙しさの度合いが変わらないとすると、処理できる件数が増えることによって、新しい案件に短時間で接するせわしなさが増すからなのかもしれません。
物理的な時間や仕事量ではなく、気の持ち方による忙しさの度合いについて考えてみましょう。もともとビジネスという英語が「ビジーネス」(Business)、つまり忙しさそのものなので、どんなに短い時間であっても仕事は忙しいわけですが、仕事をネットでやれるようになり、メールがどこでも使えるようになり、最近は出張中でも夜中でもオフィスと同じぐらいに仕事ができるようになりました。そうなると今まで仕事をしなかった時間が仕事時間に変わるわけで、ビジーネス、忙しさが細切れになって生活時間に割り込んできます。仕事時間とオフの時間がまだらになっていくことで、せわしなさ、忙しさが増加しているのではないでしょうか。
また「忙しさ」の漢字「忙」のリッシンベンは心ですから、心を亡じた状態が「忙しい」ということになります。それはどんな状態でしょうか。次から次へと妄想や心配事が浮かんでは消えていくように、ある1つの事柄に注意を集中できない状態です。つまり忙しい状態とは、ある1つのことに集中する時間が長続きしない状態といえます。
ITの利用によって、いわゆるルーチンワークはシステムがやってくれるので、人はその結果をチェックしたり、必要に応じて判断を必要とする仕事に関わるようになります。中にはじっくり考えて判断すべきものもあるのですが、1つ1つの判断にかけられる時間は多くはないので、「とりあえず」の結論を出します。じっくり考える必要のある仕事は「忙しすぎて」先送りになります。そのうちに課題を忘れてしまい、「十分な検討を時間がなくて先送りした」という思いだけが残ります。その案件を後日集中的に検討するかというと、それもないまま別の部門へ異動になったりします。「本当はあの件はじっくり話し合う必要があるんだけど、忙しすぎちゃってね」「そうなんだよね」ということです。
このように「忙しい」と感じることの原因は、ITの利用によって仕事が分割されたり、複数の仕事を同時並行で行う、いわゆるマルチタスク化することで、集中力が途切れがちになることにも原因がありそうです。
テクノロジーが人間の注意を奪い、分断する
テクノロジーが人間の注意を奪ったり、分断している状況はいたるところで見られます。アメリカでは若者が1カ月に打つメールの数は3471通と数年前から倍増していて、1日に100通以上の送受信をしています。なかには自転車に乗りながらメールをしている子供もいます。日本では駅のホームを歩きながらメールを読んでいるサラリーマンも増えています。メールが飛び交い、ネットでの検索が増えれば増えるほど、情報があふれかえり、一方で注意力が分断されていきます。ネット上の文章も、ブログによる意見の表明からフェイスブックやツイッターなどのショートメッセージになり、メールがチャットになるにつれ、長い文章を書いたり読んだりすることに必要な集中力や注意力が持続しなくなっています。次々に殺到するデータに追い立てられて、電子メールの重要性をタイトルだけで判断したり、発信者によって読まなかったり走り読みで終えたり、とにかく「速く多くの案件を処理したい」衝動で、ますます注意力が持続しなくなります。つまりテクノロジーの進歩は、ますます心を亡じて忙しい状態に向かわせているのです(図表2)。
また、さまざまなコミュニケーションが電子的に行われることで、お互いに顔を合わせて表情を確認しながら話を進めることが少なくなりました。いつでも勝手に会話を始めて、言いたいことを書いて、勝手に送り終わることができるため、特定の人に向けて書いている文章も、相手に対する気遣いが途切れがちです。会話が始まってから終わるまで、相手の言うことを聴き、その場で理解しようと意識を集中することや、相手の表情の変化を読み取りながら話すという相手への気配りが薄れてきます。
相手が目の前にいないことで、自分の時間の使い方は自由度を増して余裕ができたのですが、いわゆる非同期コミュニケーションを使いすぎると、集中力が持続しないことや情報量が足りないことから、思い込みによる誤解が生じたり、対面の会話のように即座に確認できないゆえのすれ違いなどが起きます。つまり相手との対話に関する注意力が減ることで、メールによって言葉の量が増えているにもかかわらず、信頼関係が深まらないという現象が起きます。
パソコンやスマホのメール画面を見ると、さまざまなタイトルのメールが到着順に並んでいます。それを上から処理しようとすると、あることに注意を向けたと思うと、次はまったく別の頭を使う案件が出てきて、またしても心配事や妄想を次から次へと脈絡なく追いかけているのと同じ状態になります。注意力や集中力が持続しない仕事の仕方が続くと、達成感がもてなかったり、雑談を楽しむ余裕が奪われたりして人間関係が貧困になり、豊富な情報にあふれる環境でありながら、ただ忙しいだけで新しい発想が生まれない状態になっていきます。
ダニエル・ゴールマンの『フォーカス』(*1)という本によると、これらのことはすでに1977年の時点でノーベル賞経済学者のハーバード・サイモンが予見していたそうです。来るべき情報過多の時代について、「情報が消費するのは受け手の注意力である。したがって情報が豊富になれば、注意力の貧困を招く」と書いています。メールでつながる人の数が増え、フェイスブックなどのSNSでつながっている人たちが毎日膨大なメッセージを発信し、コミュニケーションの件数が飛躍的に増えてくると、まさに情報が注意力を消費してしまうわけです。こうなると、最初の問いである、「テクノロジーが進歩したのに、なぜ忙しさが増すのか」という疑問はむしろ、「テクノロジーが進歩したので、忙しさが増した」というように認識し直して、そこから「テクノロジーが進歩しても、忙しくならないためには?」という問いに置き換えたほうがよさそうです。
iPhoneに手を伸ばすことをやめる
情報テクノロジーの進化が集中力を長続きさせないことに寄与するものだとすると、集中力を取り戻すためには、たとえばハフィントン・ポスト代表のアリアナ・ハフィントンが、ある朝、目覚めとともにiPhoneに手を伸ばすことをやめたように、情報洪水の蛇口であるテクノロジーから遠ざかることが1つの策です。ハフィントンがそうした理由は一日の始まりを赤の他人のひどい文章で、心を乱されて台なしにされる愚を終わりにしたかったからだそうです。単純で明快な策ですが、ではまったくITを使わないのかというとそうもいきません。
近年、「瞑想」が集中力を鍛える方法として注目されています。たとえばグーグルでは「サーチ・イン・ユアセルフ」というプログラムを作りました。時代の最先端をいくグーグルが、2000年以上前から行われている瞑想という方法を取り入れるのは不思議な気がしますが、多忙な社員のパフォーマンスを向上させる方法として、「マインドフルネス」と呼ばれる方法を利用しています。
マインドフルネスは、瞑想をうつ病への対策として応用するために開発されたものですが、人間の気づきや心に浮かぶことを観察し続けることで、身体や心の動きに意識を集中させる訓練を行います。それによって今現在の瞬間に意識を向けることが次第にできるようになり、さまざまなストレスが複合している状態を見つめ直せるわけです。その結果、既存の価値観から離れ、思いがけない気づきを得ることで、すべてを白紙にして優先順位の付け直しを行えるようになるといわれています。
「集中力」を鍛え、いかに取り戻すか
テクノロジーが人間の思考に与える影響について、ハイデガーは1950年代に「テクノロジー革命の波は人間を非常に魅了し、惑わせ、欺くものであるので、いつの日か計算的思考だけが唯一の思考法として受け入れられ、実践されるようになるかもしれない」(ディスコース・オン・シンキング)と、警鐘を鳴らしました(*2)。ハイデガーは人間の思考について、目的を達成するために自然や人を手段として使う「計算的思考」と、目的があるのではなく曖昧で理解しづらいけれど人間存在の基礎となる「瞑想的思考」の2つの種類があり、テクノロジーの進展は計算的思考を拡大させると予測しました(図表3)。その結果、人間の本質的な思考の仕方である、無目的で曖昧で、言葉では理解しがたい「瞑想的思考」の場がなくなっていくことを危惧したわけです。計算的思考ばかりになると、すべての行為が目的遂行のための手段として意味づけられます。
そうなるとテクノロジーが高度化すればするほど、人間の活動は目的達成のため、どんなに便利になってもすべては仕事の効率を上げるため、より多くのアウトプットを出すためのものとなり、忙しさは増すばかりとなります。「計算的思考」という人間の考え方が、テクノロジーを使って自己実現をしようとする限り、人間はますます忙しくなるしかないわけです。
このハイデガーの警鐘はその効き目があったというべきでしょうか、あるいは人間の動物的本能が働いたからなのか、グーグルやインテルなどのIT企業がこぞって瞑想を取り入れています。情報技術の先端企業であればあるほど、また西洋の合理的な目的指向型、機能主義の風土であればあるほど、その傾向にあります。生物としての人間の動物的な危機感が働き、古来より人の心を平静に保ってきた瞑想という方法を真っ先に採用させているのかもしれません。
日本でも最近「禅」についての学習や、お寺で座禅を組むビジネス・パーソンが増えているようですが、戦後の学校教育も企業教育も、宗教的な活動や手法は「科学的ではない」ということで、教育科目からはずしてしまいました。それでも日本人は自然との関わりの中で、人間の存在や企業活動の意義を考えることを生活習慣の中で育んできています。
これまでの「ロゴスとフィシスの旅」で見てきたように、私たちは西洋のロゴス中心の文明を取り入れながらも、フィシス(自然、生命)中心の文化を継承してきました。そのために、テクノロジーの進展による計算的思考の拡大を、アメリカや西洋の企業ほど危惧しなくてよいかもしれません。しかし、ここにきて心の病が急増しているIT企業などでは、計算的思考を優先させる傾向が人間に与える影響について、真剣に検討する必要があります。「生まれ生まれ生まれ生まれて生のはじめに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥し」という空海の言葉を引くまでもなく、目的もわからずにオギャーと生まれた自分という存在について考えたり、無目的な時間を作ることを実践していく時です。
ありがたいことに脳神経科学の発展によって、瞑想時の脳の働きや内臓機能との連携について、従来ではわからなかった効果を発見できるようになりました。瞑想的思考を導入するために効果を説明するのは、矛盾したことではありますが、企業という目的志向の組織の中で、無目的であることを追求する時間をとるには、その効果を説明することもやむなしというところです。
冒頭の「忙しくならないために、どうしたらいいか」という問いを解く鍵は、テクノロジーと情報量の増大によって分断されていく「集中力」を、いかに取り戻すかということでした。「禅」はインドで生まれた瞑想の方法を「座禅」として継承し、集中力を養い、悟りに至るために最も重要だとしています(*3)。禅が日本で盛んになった鎌倉時代から戦国時代、武士は座禅によって、生死をかけた瞬間に最大の集中力を発揮できるよう備え、命を全うするための鍛錬をしました。また禅の「今、ここ」に集中する生き方を日常生活に活かすことで、茶道・華道をはじめさまざまな分野で、創造力を生み出す源泉となりました。それによって戦乱の世にあっても心にゆとりをもち、一期一会を大切にする日本独特の世界を創造してきました。
目的ありき、計画ありきの思考が行き詰まり、世界中でイノベーションが叫ばれている現在、集中力を磨き、心にゆとりをもちながら日本発の価値を生み出すべく、山門を叩いて座禅を始めてみてはいかがでしょうか。
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● 参考文献
(*1)『フォーカス』ダニエル・ゴールマン著、日本経済新聞出版(→本の情報へ)
(*2)『ネット・バカ インターネットが私たちの脳にしていること』ニコラス・G.カー著、青土社(→本の情報へ)
(*3)『ブッダが説いたこと』 ワール・ポラ・ラーフラ 著、岩波文庫(→本の情報へ)
著者
片岡 久氏
株式会社アイ・ラーニング
アイ・ラーニングラボ担当
1952年、広島県生まれ。1976年に日本IBM入社後、製造システム事業部営業部長、本社宣伝部長、公共渉外部長などを経て、2009年に日本アイ・ビー・エム人財ソリューション代表取締役社長。2013年にアイ・ラーニング代表取締役社長、2018年より同社アイ・ラーニングラボ担当。ATD(Association for Talent Development)インターナショナルネットワークジャパン アドバイザー、IT人材育成協会(ITHRD)副会長、全日本能率連盟MI制度委員会委員を務める。
[IS magazine No.10(2015年4月)掲載]
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ロゴスとフィシスの旅 ~日本の元気を求めて
第1回 世界を主客一体として捉える日本語の感性をどのようにテクノロジーに活かすか
第2回 「Warm Tech」と「クリーン&ヘルス」という日本流技術の使い方はどこから生まれるか
第3回 デジタル社会では、組織・人と主体的に関わり合うエンゲージメントが求められる
第4回 技術革新と心と身体と環境の関係
第5回 忙しさの理由を知り、「集中力」を取り戻す
第6回 自分が自然(フィシス) であることをとおして、世界の捉え方を見直す
第7回 生まれてきた偶然を、必然の人生に変えて生きるために
第8回 人生100 年時代 学び続け、変わり続け、よりよく生きる
第9回 IoTやAIがもたらすデジタル革命を第2の認知革命とするために
第10回 デジタル化による激しい変化を乗り切る源泉をアトランタへの旅で体感
第11回 「働き方改革」に、仕事本来の意味を取り戻す「生き方改革」の意味が熱く込められている
第12回 イノベーションのアイデアを引き出すために重要なこと
第13回 アテンションが奪われる今こそ、内省と探求の旅へ
第14回 うまくコントロールしたい「アンコンシャス・バイアス」
第15回 常識の枠を外し、自己実現に向けて取り組む
第16回 人生100年時代に学び続ける力
第17回 ラーナビリティ・トレーニング 「私の気づき」を呼び起こす訓練
第18回 創造的で人間的な仕事をするには、まず感覚を鍛える必要がある
第19回 立ち止まって、ちゃんと考えてみよう
第20回 主体性の発揮とチーム力の向上は両立するか