日本を元気にする「ロゴスとフィシスの旅」も第12回となりました。ビジネスの変化に加速がついたことで、中長期の計画に基づく企業経営の方法が限界を迎えています。一方で、これまでのビジネスの慣行や秩序が破壊され、事業の存続が困難になる企業も出てきました。今や企業は、生き残りをかけてイノベーションを起こすことが企業存続の最重要課題となり、イノベーションを起こせる人財の育成が、国家の課題にもなっています。この課題に応えるために、まずイノベーションと教育の関係について考えてみましょう。
インベンションと
イノベーション
IBMの元会長であるサム・パルミサーノは、「イノベーションとはテクノロジーの現象ではなくソーシャルな現象であり、インベンション(発明)とインサイト(洞察)の相互交流によって生まれる」と言いました。
インベンションは、通常一人で行う孤独な努力の結果です。エジソンのような大天才が電球を発明するのはインベンションですが、電気が家庭や店などどこででも使えるようになり、夜でも昼間と同じように生活や仕事ができるようになるのがイノベーションです。つまり、社会のあり方を変えるのがイノベーションです。
インベンションと違ってイノベーションを起こすのに大天才はいりませんが、一人では起こせません。多くの専門家が必要です。新しい発明をどう使い、どのように組み合わせて利用するかを、立場や利害の異なる人たちが議論しながら進めていくことが必要です。つまりイノベーションは、パルミサーノが言うように、プロセスそのものがソーシャルであり、関係する人たちが多ければ多いほど、社会に大きなインパクトを与えるのです。
プロモーションと
エデュケーション
インベンションをイノベーションに変えるときに必要なのは、プロモーション(宣伝)とエデュケーション(教育)です。ひらめきによって生まれた新しい技術やアイデアを、まずは多くの人たちに伝えることが必要なのです。
電球ができたときには「電気の灯りの安全性」をアピールするために、電球のパレードをしたという逸話があります。新しいものに関心をもってもらうために、まずは驚きや感動を与えるプロモーションを実行したのです。
そしてさらに、エデュケーションによって電気の原理や電球の効用を理解してもらうことによって、さまざまな応用のアイデアを引き出していくことが可能になります。
そう見ると、エデュケーションとは、新しい何かを生み出すためのものと言うよりも、人がもつ能力を引き出すことと捉えることができます。エデュケーションは「教育」と訳されますが、Educateの元の意味は、Ex(外へ)+ducate(導く)で、「引き出す」です。IBMの創業者であるトーマス・ワトソンは、「教育に飽和点はない」と言いましたが、まさに私たちがもっている能力を引き出すことに飽和点はありません。そして、その引き出されたものによって世の中の役に立つことを実現するのが「教育」の本来の意味です。
では、インサイトはどのように引き出すのでしょうか。
ギリシャ時代、知恵は人間の活動の3つの分野にあるとされていました。3つの活動とは「観想」「行為」「制作」です。「観想」は真理の追求で、それを導くのが知恵、「行為」にある知恵は実践知、製作や建築を指す「制作」の知恵は、技術(テクネー)の知恵でした(テクネーは、現在のテクノロジーの語源)。
当時のアテネ市民にとって最も崇高な活動は、思索によって真理を探求し物事の善悪や価値を決める「観想」であり、「行為」や「制作」は一段低い2次的な活動と見なされていました。アテネの自由な市民は広場(アゴラ)に集まって対話し、愛や正義、国家について議論を重ね思索を深めていたのです。
一方、今やテクノロジー全盛の時代です。わが国では理系以外の学部を大学に置くべきではないという議論が政府内で行われるほど、技術の時代です。
産業革命の時代から現代に至るまで、世界の富を増大させてきたのが技術革新であったことを考えると、昔は3番目だった「制作」の知恵を学ぶことは、今を生き抜くうえで必須の学習と言えます。変化のスピードが増す現代では、最新の技術を学び続けることがいっそう要請されています。
しかしパルミサーノの方程式に当てはめると、技術を学ぶだけでは十分ではありません。そこからインサイトを引き出すことが必要です。
インサイトを引き出す
「観想」と「実践」
洞察は「イン-サイト(In-sight)」(内側から観る)と言うように、外側から客観的に眺めることを含んでいません。その言葉の定義上、全体を見通せない立場からの洞察です。インサイトは普遍的でも客観的でもなく、個人的で主観的ですから、「この洞察は私の見解である」と、その主体が明確に宣言されていることが大切です。他者の見解や何かからの引用ではなく、直感も含めた個人の価値観に基づく見通しであることが意味をもちます。それゆえ組織においてインサイトを共有し未来を考える際は、個々の価値観に基づく考えはあるにしても「正解はない」ことを全員が了解していることが大事なのです。
そのように考えると、卓越した能力をもつリーダーやヒーローの“予想”や“見通し”によるイノベーションは、本来のイノベーションとは違うと言えます。「正解はない」インサイトをそれぞれにもつ個々人が、「正解がなく未来がわからないからこそ、みんなで話し合うことに意味がある」と考え、それぞれのインサイトを相互に交流させて新たなインサイトを引き出していくことにこそ、イノベーションへの足がかりがあるのです。それが「観想の知恵」にほかなりません。
そしてその次に、話し合いの結果、合意したことを、全員が納得し全力でやってみることが大切です。全員が腹落ちしてやったことは、極論すれば、失敗がありません。なぜなら、そのように取り組む姿勢があるならば、どんな結果であれ、そこから次への知恵を学び取るからです。
それが「実践知」です。実践知は行動することでのみ獲得でき、うまくいったこと、いかなかったことの両方から学べる知恵です。そこには議論や思索からは得られない身体感覚や動作実感があります。チームによる共同作業は、チームとしての一体感を身体感覚を伴って高めるので、新たなインサイトを生み出す契機ともなります。
ダイアローグと
アゴラから
まとめると、イノベーションは、インベンションとインサイトの相互交流によって生まれ、さらにエデュケーションによって引き出されるものでした。
インサイトの相互交流とは、個人の価値観に基づくアイデアの出し合いと、ダイアローグにほかなりません。それによって、お互いの洞察を理解し合い、それぞれの意見を変えていくことによって新しい合意が可能になります。
もう一度、時代を遡ってギリシャの市民になってみましょう。
ご存じのように、ソクラテスはアテネの街で賢者といわれる人たちに向かって真理を問い、彼らも自分も真理が何かであるかをわかっていないことを明らかにしました。そして「真・善・美」を知る神の知恵に近づき、よりよい人生を送るには、自分たちは「知らないものである」との了解から始めなければならないことを説いて回ったのです。
2500年後の私たちも、イノベーションを起こす人材を育み、イノベーティブな組織風土を作るには、「私たちは知らないものである」として探求を続けることが求められます。それは、ギリシャの知恵を現代のテクノロジー社会に蘇らせることでもあります。そのために、ソクラテスが街中の人たちと行った「ダイアローグ」の価値を、あらためて見直す時期に来ていると言えます。ダイアローグとアゴラ(広場)という場が、イノベーションのために重要なのです。
著者
片岡 久氏
株式会社アイ・ラーニング
アイ・ラーニングラボ担当
1952年、広島県生まれ。1976年に日本IBM入社後、製造システム事業部営業部長、本社宣伝部長、公共渉外部長などを経て、2009年に日本アイ・ビー・エム人財ソリューション代表取締役社長。2013年にアイ・ラーニング代表取締役社長、2018年より同社アイ・ラーニングラボ担当。ATD(Association for Talent Development)インターナショナルネットワークジャパン アドバイザー、IT人材育成協会(ITHRD)副会長、全日本能率連盟MI制度委員会委員を務める。
[IS magazine No.18(2019年1月)掲載]
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ロゴスとフィシスの旅 ~日本の元気を求めて
第1回 世界を主客一体として捉える日本語の感性をどのようにテクノロジーに活かすか
第2回 「Warm Tech」と「クリーン&ヘルス」という日本流技術の使い方はどこから生まれるか
第3回 デジタル社会では、組織・人と主体的に関わり合うエンゲージメントが求められる
第4回 技術革新と心と身体と環境の関係
第5回 忙しさの理由を知り、「集中力」を取り戻す
第6回 自分が自然(フィシス) であることをとおして、世界の捉え方を見直す
第7回 生まれてきた偶然を、必然の人生に変えて生きるために
第8回 人生100 年時代 学び続け、変わり続け、よりよく生きる
第9回 IoTやAIがもたらすデジタル革命を第2の認知革命とするために
第10回 デジタル化による激しい変化を乗り切る源泉をアトランタへの旅で体感(10月26日公開)
第11回 「働き方改革」に、仕事本来の意味を取り戻す「生き方改革」の意味が熱く込められている
第12回 イノベーションのアイデアを引き出すために重要なこと(10月28日公開)
第13回 アテンションが奪われる今こそ、内省と探求の旅へ
第14回 うまくコントロールしたい「アンコンシャス・バイアス」
第15回 常識の枠を外し、自己実現に向けて取り組む
第16回 人生100年時代に学び続ける力
第17回 ラーナビリティ・トレーニング 「私の気づき」を呼び起こす訓練
第18回 創造的で人間的な仕事をするには、まず感覚を鍛える必要がある
第19回 立ち止まって、ちゃんと考えてみよう
第20回 主体性の発揮とチーム力の向上は両立するか